旧・高遠町北部、藤沢川流域の地域は「高遠七郷」の一つで藤沢と呼ばれる地域でした。その藤沢地域の南9ヶ村が明治8年に合併して生まれたのが長藤村(おさふじ)です。
その長藤村の中心地となったのが、杖突街道の宿場町であった栗田でした。
栗田は栗木田とも書かれ、江戸時代の高遠藩主・鳥居忠則の時代に杖突街道の整備と共に、その宿場町となりました。高遠城下から2里、街道一の宿場町であった御堂垣外宿まで1里の距離で、規模としては街道第二の宿場町で、文久2年の記録では家数32戸、人口127人、道の両側に旅籠や馬宿が数軒並び、問屋が2軒、水路が流れ馬の飲み水や旅人の洗い場として利用されていました。現在道路の東側に水路が流れていますが、これが当時からこの位置にあったかは分かりません。
旧長藤急便局の洋風建築が村の中心地であった事を伺わせますが、現在この建物がどのような位置に置かれているかは定かではありません。裏手に回ると大きな屋敷である事が分かりこの村の旧家である事は一目でした。街道筋には今も旅籠建築の姿で旅館を営んでいる姿もありましたが、全体的に建物が修繕されて綺麗な姿になっている事が栗田宿の特徴でした。
高遠中心部の生活圏にある集落だからでしょうか?
|