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世界遺産登録をめざす「富岡製糸工場」の町として知られる富岡市の隣りに、甘楽町という小さな町があります。この甘楽町には江戸時代の城下町小幡の街並みが残されています。
鎌倉時代、関東管領山内上杉氏に使えこの地を支配していた小幡氏は後に甲州武田氏に鞍替えし、武田氏滅亡後は小田原北条氏に使えるも、その後は時流を掴めずに滅亡します。
関ヶ原の戦い後、大和大宇陀と上野小幡の領主だった織田信長の二男信雄の手によって城下町の基礎がつくられ、四男の織田信良が相続し、ここに2万石の小幡藩が成立します。城下町の整備は約20年の歳月をかけ、まず古来からあった用水路・雄川堰を改修延長し陣屋や武家屋敷周辺にまでめぐらせました。そして雄川堰の両側には桜並木と道路を配し、それらにそって町並みが整備されたのです。
この雄川堰沿いに軒を連ねる町人町の街並みを初め、陣屋跡・家臣屋敷などが今に残る小幡の町並みです。
信長の嫡流である小幡藩は小藩ながら国主格を与えられていましたが、のちのスキャンダルによって山形高畠へ左遷させられます。変わりに上里見から奥平(松平)忠恒が2万石で入封します。
小幡の主な産業は蚕糸業で、ほとんどの農家は養蚕を行い、村ごとに組合を組織していました。明治のピーク時には旧小幡藩士族によって小幡製糸会社が設立されます。
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小幡陣屋跡と家臣屋敷の長屋門
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