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  白井
しろい
 水路と井戸と白壁土蔵の町並みが残る三国街道の宿場町
 群馬県北群馬郡子持村白井 【群馬県渋川市白井】2006年合併
 構成:商家・土蔵・せがい造り民家 ■ 駐車場:道の駅・こもち
 
 
白井は利根川と吾妻川の合流する河岸段丘にある集落です。戦国時代に長尾氏によって築かれた白井城の城下町として開かれ、上州北部における政治経済中心地として発展しました。その後長尾氏は小田原北条氏と共に滅び、徳川家康の関東入部にともない白井には本多康重が2万石で配されます。次ぎに徳川四天王・井伊直政の次男・井伊直孝が1万石で入りますが、直政は病弱な兄である直勝に代わって彦根藩を継ぎ、
西尾忠永2万石、そして本多康重の次男紀貞が1万石で入りますが無嗣改易となると以後は幕府領とります。その後の白井は沼田街道や三国街道が通る交通の要衝として賑わうとともに、5と10の付く日に六斎市が開かれる市場町として発展しました。

白井の中央には悪水処理の排水路である「白井堰」があります。この「白井堰」にそっていくつもの共同井戸が設けられています。そしてその両側に白壁の土蔵や出梁造り商家が並んでいます。国道17号線が町を大きく迂回したために白井の町は残る事になりましたが、町並み整備が行われる以前に近代住宅地となってしまった為、古い伝統的な建物は僅かしか残っていません。しかし水路が町並の風景を取りまとめる役割を果たし、宿場町の遺構が残る町並みでした。