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  彦根
ひこね
 井伊家彦根藩35万石の城下町
 滋賀県彦根市本町・城町・芹町・河原町

 構成:商家・町家  駐車場:なし  彦根城観光P

彦根城周辺 | 芦町・河原町

本町・夢京橋キャッスルロード

彦根は彦根城を中心に伝統的な古い街並みや情緒が残る井伊家35万石の城下町。
国宝の天守閣は、明治新政府の廃城令によって全国の城が次々と破却されるなか、参議大隅重信が名城の消失を惜しみ、たまたま近江巡幸中の明治天皇に奏上して取り壊しを免れました。さらに第2次世界大戦で戦災を免れ、城下町の面影が色濃く残される事になりました。

徳川四天王一人井伊直政は、関ヶ原の勲功を持って石田三成の居城であった近江佐和山に18万石で封じられ、西国36カ国の監視という特別の任務を与えられます。
直政は城を佐和山から磯山へ移すことを決めますが着工前に病没してしまいます。
それを引き継いだ子の直勝(直継)は、新たに彦根山(金亀山)への移築を決め、約20年の歳月をかけて完成します。築城は徳川家康の命で幕府普請として七カ国12大名を動員して大掛りに進めらました。
この井伊直勝は病弱で大坂の陣への参陣もかなわず、代わって弟直孝が参陣。直勝は彦根藩を継ぐ事が許されず、2代藩主は弟直孝が継いで、直勝は新たに別家を立て3万石の上野安中藩が成立します。
以降彦根藩は井伊家が幕末までの260年余り、17代の長きに渡って受け継ぎま
す。筆頭譜代である井伊家は歴代で数多くの大老を輩出しました。なかでも幕末の混乱期に大老職を務めた井伊直弼は鎖国日本を開国へと導き、歴史に重要な足跡を残します。

彦根城下でまず目に入るのが、本町に造られた「夢京橋キャッスルロード」。
白漆喰に黒の真壁造りの伝統的家屋を模した現代建築物ですが、城下町再現の中心的な役割を担い、周辺に残る江戸時代に建てられた古い街並み整備保存の原動力になっています。町人町の町割りが残る城町〜本町には紺屋町、魚屋町、職人町、牢屋町、桶屋町など城下町ならではの旧称が今でも残されています。
築100年以上経つ伝統的な商家が数多く残されていますが、連続性は失われていました。中には老朽化が目立つ建物も多く見られ、修築保存が急がれます。
主な通りのカラー舗装など街並みの修景が進行中で、彦根城下町の今後に期待が持たれます。


城町の町並み