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  古河
こが
 奥州街道の宿場町・土居家古河藩8万石の水辺の城下町
 茨城県古河市中央町・錦町・大手町

 構成:商家・武家屋敷・土蔵  駐車場:なし
 
 
古河が歴史の中で知られるようになるのは古河公方と呼ばれた足利成氏によります。
宝徳元年(1449)足利成氏は鎌倉に迎えられ鎌倉公方となったものの、上杉一族との抗争に破れ古河城に逃げ延びます。古河は利根川・渡良瀬川による自然の要害で、成氏を支持する関東豪族や武将に守られこの地で古河公方を称しました。しかしその後は身内の内紛によって信用や後ろ盾を失い、ここに古河公方の時代は終わりを向かえ、代わって関東で台頭し始めた小田原北条氏が古河を支配しました。

江戸時代に入り、小笠原秀正が古河城の修復拡張を行うために信濃松本から入封。
武家町、寺町、町人町など町割りを行い、同時に日光街道・奥州街道の宿場町としての機能も整備されていきます。さらに古河は渡良瀬川の河岸は物資の集散地としても栄えました。
古河は幕府にとって経済的にも軍事的にも重要な拠点であった為、小笠原氏の後も、将軍家の支流、幕閣の重職にあたる譜代大名が次々と藩主に就きます。
そして最後に数々の名君を生み出した土居氏8万石が幕末まで古河を統治しました。
土居氏は学問に熱心で、大阪城代や京都守護職などを歴任した後、上方文化や洋学を古河に持ち込みます。 さらに、幕府老中も務めた藩主土居利位は、世界最初の雪の研究所「雪華図解」を刊行しました。

古河は今でも茨城西部における中核都市であるため、近代化・都市化が進み、古い街並みは中央町や大手町などに僅かに残っている程度しかありません。
しかし、青木酒造・赤煉瓦の美術館・茅葺きの武家屋敷など現存する伝統的な街並みは城下町の要素を幅広く残しています。
 
 
古河の酒蔵          
清酒 「御慶事」 青木酒造 茨城県古河市本町2丁目15-11 0280-32-5678