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  吉江
よしえ
 吉江藩2万5000石の陣屋町から発達した在郷町
 福井県鯖江市吉江町

 構成:商家・町家・酒蔵・武家屋敷・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

鯖江の北西約5km。日野川と浅水川に挟まれた田園地帯の中に吉井町があります。
吉江町には福井を代表する銘酒「梵」を醸す加藤吉平商店の蔵があり、そこを訪ねた際に偶然町並みを発見しました。田園地帯の中にあって、突如姿を現す伝統的商家の商店街。さらに「吉江七曲がり」という名の通りに、武家屋敷の遺構が残る事からもこの町が単なる在郷町ではないことが分かります。
吉江町は江戸時代に、福井藩の支藩である吉江藩2万5000石の陣屋町でした。

正保2年(1645)時の福井藩2代藩主松平光通の異母兄弟である、松平昌勝が福井藩から5万石を分知されて越前松岡藩が成立します。この時、弟の昌親(当時6歳)には越前吉江2万5000石を分知して吉江藩が成立しました。
吉江藩は福井藩の支藩の位置づけですが、実質福井藩の内高に含まれ、形式上の立藩にちかいものである事は、大藩の支藩成立のいきさつも含めよくある話しです

単なる農村であった吉江は、陣屋町として整備され「町」として発展していきます。新町・西町・牛屋町・本町・東町・柳町などの町人町が成立し、これらを総称して吉江町といいました。
やがて福井藩では、4代藩主松平光通の正室国姫が男子に恵まれない事を苦にして自害し、藩主光通も後を追って自害してしまうという事件が起こります。光通の遺書により吉江藩主松平昌親が福井藩を継ぐ事となり。吉江藩は廃藩と同時に陣屋も家臣、さらに寺社も福井城下に移転し、再び農村へと戻る事になるのは吉江藩と同時に成立した松岡藩の松岡町も完全に同じです。さすがに、残された町人町を放置するわけにはいかず、諸役を免除する振興策を施し福井藩の保護のもと町を維持しました。

ちなみに江戸初期の歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家として知られる近松門左衛門はこの吉江で幼少期を過ごしていいます。
地元の方にお話を聞いたところ、近々道路を石畳にする工事が行われるそうで、市をあげて吉江の町並みを保存整備していくようです。


 
 
 
 
 
 
吉江町の酒蔵          
清酒 「梵」 加藤吉平商店 福井県鯖江市吉江町1-11 0778-51-1507