奥美濃の町、白鳥は遙か古来、泰澄大師を案内した白鳥(ハクチョウ)にその名が由来するといい、同氏によって開かれたとされる白山登山の根拠地である宗教集落に発し、その後長滝白鳥神社の門前町として発達しました。
白鳥は美濃馬場とも称され、白山神社の別当寺である白山中宮長滝寺は天台宗系の修験道場でしたが、これらは明治の神仏分離令で白山神社と長滝寺に分離されます。
白鳥の地名、字に、二日町、三日町、八日町という名が見られることからも、古くから市場が開かれていたと思われます。修験道の町であった為が、信仰が減少した江戸期は在郷町としても発展せず、鳴かず飛ばずの状態が続き、毎年1月6日に長滝寺の門前で開催される市に多少の人が集まり露店がでる程度であったと言われます。
しかし白鳥は奥美濃の中心地であり、また西側の油坂峠を越えると越前に接し、北には飛騨と接する国境の町でもあり、それなりに重要視はされていたようです。
長良川の対岸の向小駄良(むかいこだら)の登山口には、越前国境の口番所が置かれていました。この口番所は人や物資の監視よりは、通行税の徴収が目的で明治期まで続いていました。
現在美濃・飛騨を縦貫する国道156号線は、市街地を大きく迂回している為、白鳥の町には古い時代の面影が色濃く残されていました。町並みの雰囲気は越前大野に似ていて、袖壁を持った間口の広い商家が軒を連ねます。
一歩裏手の小道には小川がながれ、その音が耳に心地よい。長良川の伏流水に恵まれ造り酒屋もあります。古い時代の資料では、明治初期に酒屋1軒、紺屋は2軒しかなかったといいますから、往時も今とさほど変わらなかったようです。
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