多度町香取は古くから栄えた港町であり、水陸物流の要衝でもありました。香取市とよばれる六斎市(4と9の日)は、中世に始まり、江戸期を通して賑わいました。
香取という地名は関東の香取神社・鹿島神社がこの地に立ち寄ったことに由来するとか。揖斐川水運の港町・香取港は桑名郡だけでなく美濃国南部を含めた近郷の物資集散地として重要視され発展。江戸期には桑名ー大垣間を結ぶ定期航路の寄港地、「津島の渡し」の渡河地として人々の往来も多く、旅籠も多く並んだといいます。
そんな香取を各地の商人は見逃さず、多くの商人が移住して商業町が形成されます。もっとも、大都市桑名のサテライト港的な要因もあり、家数は137軒、人口は677人とそれほど大きな町ではなかったようです。
やがて、香取港は揖斐川、木曽川、長良川の三川改修によってその役割を終え、新田開発によって、次第にその姿を消してしまいます。
現在、多度川の堤防に沿った細長い町筋に残る、伝統的な商家にその一片を見ることができます。水害に備え、土蔵は主屋より高い堤防の中断付近に置かれ、建物自体も道から少し高上げしている模様は、京都福知山の由良川と京街道沿いの町並みに似ています。共に水害と闘い続けた商人町でした。
|