多度町多度はその名のとおり、多度大社の門前町。多度大社は続日本紀にもその名が見える歴史の古い神社で、「伊勢に参らば多度をもかけよ、お多度まいらにゃ片まいり」といわれ、伊勢神宮に対して北伊勢神宮とも称されていました。
式内社であり、祭神は多度神こと天津彦根命で、毎年5月4と5日に開かれる大祭「馬神事」で知られています。馬神事は少年が馬に乗って崖を駆け上がり、その上がり具合でその年の収穫を占った事にはじまるとか。
もっとも、本格的な門前町が形成されるのは、ずっと後の時代になってからの事。大正8年に近鉄養老線が開通してから、現在の門前町が形成されていったのです。
このあたりは古代以来、伊勢国と美濃国の国境にあり、伊勢と美濃を結ぶ平野部唯一の道、美濃街道が通ることから柚井地区付近には関所が置かれていました。
多度大社は戦国期に一度、織田信長によって焼かれますが、江戸期に桑名藩によって復興されます。この空白の為か多度大社の参詣は江戸期頃には下火になっていた事もあって、特に門前町の発展はなかったようであり、江戸期の多度集落の家数は59軒、人口274人という小規模なものでした。
また中世以来のこの地域の中心は、河港町にして商業町である現在の香取付近であった事も影響があったかもしれません。
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