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  白須賀
しらすか
 三州・遠州国境の町・東海道三十二次之宿場町
 静岡県湖西市白須賀
切妻平入り民家・商家・旅籠建築  なし  JR東海道本線・鷲津駅よりバス
 
 

湖西市はその名の通り、浜名湖の西に位置する人口44,000人の町です。この湖西市と隣りの愛知県豊橋市が接する渥美半島の付け根付近に、東海道は日本橋から32番目の宿場町である白須賀宿があります。

白須賀、古くは白菅とも書き、鎌倉時代から見える古代東海道の要衝でした。もともとは現在の国道1号線・大倉戸IC近くにありましたが、宝永4年(1707)の大津波で町は壊滅し、高台に位置する現在地に移転したのです。最初に宿場が置かれた場所は「元白須賀」や「元宿」とも呼ばれ、現在の元町です。

国道42号線の潮見坂を上り、旧道に反れると宿場町の面影を残す家並みが始まりま
す。白須賀は三河と遠江の国境に位置する宿場町で、境川が国境になっており、地質も東国の黒土と西国の赤土に分かれている興味深い場所です。
境川沿いの集落である境新田も白須賀宿の加宿と定められ境宿と称しますが、白須賀と同様に元宿から移転した集落でした。

天保14年(1843)の白須賀宿の規模は、境宿を会わせて家数613軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋27軒、郷蔵3軒で人口は2,704人。宿場には商家が少なく、大半は農家の兼業で旅籠屋や茶屋などが営まれており、多くの大名はここを素通りして浜松、舞坂、もしくは手前の御油赤坂に宿泊したといいます。

宿場の規模はそこそこあったものの、明治に入って宿駅制の廃止でその役割に終止符を打ち、さらに国鉄東海道線が町から遠く離れて開通した為に、白須賀は衰退していきます。

時代の波にも取り残された為が、白須賀の町はかなり往時の面影を残しています。家々は厨子二階から本二階となり、アルミサッシがはめ込められても、坂道に沿って続く立体的な視覚効果が、江戸時代の町並みはすでに無いものの、昭和初期を思わせるような郷愁的な景観を漂わせていました。