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笠田
かせだ
 古い町名や重厚な商家が残る大和街道沿いの街村
 和歌山県伊都郡かつらぎ町笠田東
切妻平入古民家・厨子二階民家・土蔵  なし  JR和歌山線・笠田駅
 
 
「川上酒」とは紀ノ川上流で醸された在方酒で、幕末の伊都郡・上那賀郡で最盛期を迎えるその酒は、その多くが地元の豪農層により、表向きは「農間余業」として行われていましたが、その石高は有数の酒造地に匹敵する規模で、和歌山城下はおろか大坂や瀬戸内海沿岸、果ては江戸まで販路を広げていました。

かつらぎ町西部の中心市街である笠田には、数軒の川上酒を醸す酒蔵が集まっているとの情報を得て訪れてみたものの、残念ながらその大半はすでに廃業してしまっていました。

笠田の町はその歴史を調べても、平安期に京都高尾の神護寺の荘園にはじまり、鎌倉期に東西2つの荘園に分割された事以外は、近世以降も特に在町や宿場町として発達した記録は見られない農村集落・街道集落のようでした。しかし旧大和街道沿いには意外にも多くの伝統的な商家建築が残され、そしてさらに旧町名であると思われる「戎丁・楠丁・中ノ丁」などが掲示され、町並みの景観整備も行われている様相でした。

笠田には大和街道と重なり、大坂方面から鍋谷峠を越えて高野山へ至る父鬼街道(現在の国道480号線)が通り、笠田からは紀ノ川を渡って渋田から大門街道とも呼ばれる西高野街道が分岐していました。この西高野街道は江戸期以降の新道で、それまでは那賀町の麻生津から赤沼田(あかんた)を経て麻生津峠を越える道筋でしたが、あまりに険しい道であった為に現在に至る道筋へと変更になったのです。これほどの街道の要衝であるにも関わらす、町の生い立ちに記録が無いのが不思議ですが、今も残る町並みが往時の繁栄ぶり、参詣客によって栄えた歴史を物語っているようでした。

笠田という地名は中世後期に一度途絶えますが、明治22年、伊都郡の9か村が合併して旧荘園名から笠田の名が復活しました。
戎丁の家並み
 
 
町はずれに建つ旧草田酒造
 
 
かつらぎ町の酒蔵          
清酒 「寿久」 野半の里
(野半酒造店)
和歌山県伊都郡かつらぎ町佐野702 0736-22-1005
清酒 「初桜」 初桜酒造 和歌山県伊都郡かつらぎ町中飯降85 0736-22-0005
廃業 鶴の瀧」 帯庄酒造 和歌山県伊都郡かつらぎ町丁ノ町551 0736-22-0002