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那賀郡那賀町の中心地である名手市場と紀ノ川を挟んだ対岸に位置する麻生津地区。現在は江戸期に形成された北脇(北涌)・西脇・中・横谷・赤沼田の五ヶ村を継承した大字となっていて、往時を偲ばせる家並みは麻生津中と北涌地区にひっそりと残されています。
麻生津は(あそうづ)では無く(おうづ)と読む難解地名ですが、古くは”大津”と書かれたらしく納得です。
紀ノ川の河港として古くから水上交通の要地であり、平安期ごろからは高野参詣道の麻生津宿や三谷宿(かつらぎ町三谷)が紀ノ川左岸にあり、対岸の名手荘市場や粉河と結ぶ「名手の渡し」の渡津でもありました。高野山への道筋は数多くあり、この麻生津から赤沼田、御所(かつらぎ町)を経て高野山に至る道筋は西高野街道と呼ばれていましたが、現在の県道上鞆渕那賀線を見るとわかる様に、非常に険しい道であった事から、やがて笠田(かつらぎ町)から渋田を経る新しい西高野街道(大門街道とも・現国道480号線)が開かれ、麻生津は徐々に表舞台から姿を消していきます。
現在の麻生津の町並みの北端、北涌村の小字に「茶屋町」というものがあり、江戸期にも商家や旅籠が軒を連ね市街の様相だったといいます。旧街道筋は街村の形態で今も残り、桝形や石標などわずかながらも往時を偲ばせる風景が残されていました。
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