八坂通はその名の通り、東山のシンボルで五重塔「八坂の塔」に至る参道で、大和大路通から産寧坂・二寧坂に至る約830mのゆるやかな坂の道です。この八坂の塔は八坂神社とは関係が無く、法観寺(ほうかんじ)という禅寺の境内に建つ塔です。
法観寺は霊応山と号する臨済宗建仁寺派の寺院で、その歴史は古く、飛鳥時代に聖徳太子が創建したという伝承が残りますが、朝鮮半島からの渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建された説が有力です。八坂の塔は度々火災で焼失しましたが、その都度再建され現在の塔は室町時代に建てられたものとか。
かつては延喜式七ヶ寺のひとつに数えられる有力な寺院でしたが、日を追うごとに衰退していき、現在はこの五重塔と太子堂、薬師堂を残すのみで「八坂の塔」そのものを法観寺と称しています。
石畳の参道の正面に建つ八坂の塔の描写は金園町側から撮った物。金園町はかつて八坂上町に対する八坂下町と呼ばれていた洛東有数の歓楽街だった町です。古くから法観寺の境内地であり門前町でもあった事から法観寺門前下ノ町とも称し、治外法権の自治を有していました。江戸初期に門前町として整備が行われ、元和5年に京都所司代板倉勝重の許可を得て八坂上町と共に遊女茶屋街として発展。後に八坂上町・金園町・南町(祇園南町)・枡屋町を含めて辰巳新地と称されていました。現在も参道には土産物屋などは泣く、スナックや料亭が建ち並んでいますが、日々修景整備が進められ、京都らしい佇まいを取り戻し始めています。
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