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五条通
ごじょうどおり
 豊臣秀吉の時代から五条通となった京都で最も大きな幹線横断道(元・六条坊門小路)
 京都府京都市東山区五条橋東6〜西京極浜野本町(葛野西通ー東大路通)
 
 
 
五条通は京都市の中心部を東西に貫く大動脈で、堀川五条を堺に東海道である国道1号線と山陰道である国道9号線が接続している京都の横断道です。(ただし烏丸五条以東は旧北陸道・国道8号線と重複)

清水五条交差点からは、清水寺へと登る細い参道が実は五条通りなのですが、国道1号線はその先、花山を超えて山科区・大津方面へと通じています。(この区間は五条バイパス)

この五条通は豊臣秀吉の時代からの名称である事は知る人ぞ知る事実です。平安京においては六条坊門小路にあたり、当時の五条通は現在の松原通。豊臣秀吉が方広寺参拝及び伏見城と御所との往来のために、鴨川に架かる五条大橋を六条坊門小路に移設して、この通りを(新)五条通としたのです。そして元の五条大路は松原通と名付けられました。

京都の大動脈として現在の五条通は片側4車線の幅の広い道路ですが、これは戦時中に空襲による類焼を防ぐために強制疎開を行って造られたものです。
ゆえに、この五条通に伝統的な建物はほとんど残ってはいませんが、鴨川の東、大和大路通から五条坂に至るわずかな区間にだけ、わずかながらも町家の姿が残されています。


 
 
 
 
 
 
五条大橋から西はすべてビル街となっています