奈良盆地の中西部、北葛城郡広陵町は県下の町村では最も人口が多い町としてニュータウン化が進む一方で、農村地帯では中世の環濠集落の遺構が数多く見られる町でもあります。町名の「広陵」とはかつてこの地域の古い郡名である広瀬郡の広と馬見丘陵の陵を合わせたもので、この馬見丘陵の東麓には、在郷町の名残や豪農・豪商の屋敷を今なお見る事ができます。
この馬見丘陵地域は江戸時代に在郷商人の名が記されている以外に、町場として発展した記録は見られませんでしたが、明治に広陵町(初期)の町役場が疋相地区に一時置かれてから、町の中心地としての発展があったようです。
江戸時代は水利が良くない地形の為に、綿花やカブの栽培など商品作物が盛んであった事が富裕農家を輩出し、大正期ごろからは靴下製造が始まって、靴下製造を行う農家の戸数は次第に増加し。そして現在、全国シェアの四割がこの広陵町で造られています。
「町場」の面影が残る疋相地区とは町役場とニュータウンを結ぶ道路を挟み、南側に位置する平尾地区には、目を見張るような屋敷構えの農家が多く集まり、重厚な家並みを形成していました。またどの家々も非常に手入れが良く、建物の状態が良い事に驚かされます。
|