戸数1,100軒、人口4,000人にも達する今井町の町制は独自のルールである「町掟」によって定められています。内容は17条からなり、上納・売買・消防・自身番の規定・博打の禁止・道路の保全・濠溝の保護・焙煤清掃・節約勤倹など町民相互の社会道徳や保全にまで広く及び、特に防火に関してきびしく管理を行っていました。現在も江戸時代の建物が多く残ることは、長いあいだこの町掟が住民一人一人に周知徹底され続けていた事を物語っています。
また町内には旅籠屋が全く無く来泊者は町内に滞在することが許されていませんでした。宿泊がどうしても必要な場合は町年寄に届出が必要でした。これも莫大な富が集まる今井町の治安を守る為には必要なルールでした。夜間には9つの門が閉ざされ、町は完全に外部と遮断されていたのです。
今井町は一見碁盤の目のように整理されているように見えますが、よく見ると道のほとんどが一部で屈折され、または丁字になっています。中世城下町に見られる地割りは軍事的な色彩の強かった中世城塞都市の名残です。
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北町もまた初期今井町成立時からある町です。北から「北尊坊通」「大工町筋」「中町筋」と東西の通りがあります。このうち大工町筋から北側は江戸時代に入ってから拡張したブロックです。
上田家住宅・今西家、尾崎家と並び惣年寄を務めていた旧家で当時の屋号は「壷屋」。惣年寄の中でも司法を担当した家柄でした。大工町筋の南端にあり、入口を西側に設けているのが特徴。また道から半間ほど下げ、塀を設けているのが特徴です。母屋は延亨元年(1744)の築と言われています。
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