法隆寺の南東に接する安堵町は大和川水運の中継地として発展した半農半商の在郷町的な集落でしたが、町を貫流する岡崎川を境に南側に位置する窪田地区には、国の重要文化財にも指定されている中家住宅を中心とした環濠集落があります。
中家住宅は二重の濠に囲まれた、中世の典型的な環濠邸宅で、外濠の内側は竹藪となり、内濠は鉤手に屋敷をとりまき、環濠に面した表門・主屋・新座敷の他、米蔵・新蔵・乾蔵・牛小屋・持仏堂・ 持仏堂庫裏など、武家造りと農家造りを兼ねた建物がみごとに残されています。この中氏は、もとは足立氏と称する現在の三重県鈴鹿市の土豪と伝えられ、足利尊氏に従い大和に入って窪田の姓を名乗り、室町時代にこの地域を拝領して明徳2年に中氏を称したのが始まりと言われる旧家です。中家は江戸時代に帰農して現在に至っています。
中家の隣りに並ぶ石田家邸は、郡山城主の筒井順慶譲り受けた「多聞城の門」が表門として今も残ります。この石田家も中家を先祖に持つ旧家で、万治2年(1695)武士から大地主になり帰農しました。現在は呉服会社のギャラリーとして整備中です。
|