近鉄大和八木、JR畝傍駅の東側を南北に走る旧中街道沿いに発展した八木町は、古代の下ッ道(後の中街道)と横大路(後の伊勢街道)の交差する要衝に発展した奈良南部地域有数の在郷町であり、現在の橿原市の原型となった町でもあります。その八木町の南側にある小房町にもまた、八木町に続く町並みが残されています。
室町期からの近世までこのあたりの地名は四分(しぶ)といい、江戸時代後期の明和6年(1769)に四分村から分村して小房村が成立しました。地名の由来にもなった小房観音寺に近い飛鳥川にかかる神道橋から北へ八木町に至る300mに町並みが残ります。旧中街道筋は北から南への一方通行の細い道で、後に整備された国道が町を大きく迂回した為に家並みが残されました。小房という地名は、江戸時代に「おふさ」という娘が観音様を奉始め、後にお寺に発展した小房観音の伝承に由来するもので、地名の方は「おうさ」となります。
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