奈良県橿原市には寺内町として知られる「今井町」があります。今井町は全国的にも稀少な町域のほとんどが江戸時代当時の姿及び建造物を残す地区として国の重要伝統的建造物保存地区にも指定されています。
しかし、この今井町の西側、近鉄橿原線と国道24号線を越えた先にある旧中街道沿いにも伝統的な商家の町並みが残されている事はあまり知られていません。この町並みは、現在の橿原市及び、市の成立前にこの地域の中心であった畝傍の町のルーツとなった地区でもあります。
JRの駅は畝傍駅ですが、実質的な橿原市の玄関口は近鉄線の大和八木駅となります。この駅名にもある八木町は古代道路である下ッ道(後の中街道)と横大路(後の伊勢街道)の交差する町として、古くから南大和地域最大の要衝として栄えていました。室町時代から灯油の原料となる荏胡麻仲買座をはじめ鳥餅座や駄賃座など商業や流通に関わる座(組合)が置かれてた記録があります。 やがて八木町には大和国内だけでなく吉野や紀伊国からも物資が集散した事により、八木の座は遠方からの商人に定宿などを提供して売買の便宜をはかり、販売の独占権を手にしていきます。
江戸時代になると「おかげ参り」に始まる伊勢参詣が活発になり、西国巡礼や高野参詣などとともに人々の往来が増加、八木町は宿場町の様相も呈していきました。 このような中で八木町は東に高田、西に桜井といった在郷町が成立していた為に、南北に延びる下ッ道(中街道)沿いに町場を発展していったものと思われます。
八木の町並みは近鉄大和八木駅の東側、北八木町から南へ旧下ッ道沿いに小房町まで約1kmに渡って続いています。近鉄大阪線の踏切とJR桜井線の踏切に挟まれた北八木町、八木町には重厚な旧家の商家建築が多く見られる一方、JR桜井線の踏切を越えた南側は比較的時代の新しい町屋が続きます。この旧中街道筋は北から南へ一方通行の為、それほど交通量は多くありませんが、東に位置する重伝建地区に指定されている「今井町」に比べると、景観保護の対象にはなっていない様子がうかがえ、町並みの行く末が懸念されます。八木町も歴史的にもその名がある町並みなため、ぜひ早期の対応を願わずにはいられません。
下ッ道(中街道)と横大路(伊勢街道)の交差点・八木の辻
八木町にあった酒蔵・岸の竹酒造
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