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  八橋
やばせ
 山陰道・伯耆街道沿いに置かれた倉吉往来起点の宿場町
 鳥取県東伯郡東伯町八橋 【鳥取県東伯郡琴浦町八橋】2004年合併

 構成:商家・町家・酒蔵 ■ 駐車場:なし
 
東伯町の中心部である八橋は伯耆街道(山陰道)の宿場町として栄えた町ですが、隣りの赤碕宿とほぼ連なっています。これは八橋宿の機能が伯耆街道から分岐する八橋往還(倉吉往還)の起点宿としてもうけれた為でした。
また中世からの港町を基礎に発達した宿場町である赤碕に対し、この八橋は古くからの城下町を町の基礎としています。
八橋は伯耆・因幡の動向を見守るに適した戦略ポイントであり、その争奪を巡って古くから戦いが繰り広げられて来ました。早くに八橋城が築かれ戦国期における尼子氏と吉川氏の激闘。やがて中国地域の覇者毛利氏の支配となりますが、豊臣秀吉との講和以降は毛利領最東端の前線基地として位置づけられました。
関ヶ原の戦い後、中村一栄が3万石で八橋城に封ぜられるも4年後に病死。その後一橋長勝が3万5000石で封じられここに八橋藩が成立します。しかし長勝は大阪の陣の功績により2万石を加増され越後三条へ移封されこれを最後に八橋藩は廃藩となります。一時期幕府領となりますが、やがて伯耆・因幡32万石を領する鳥取藩領となり八橋は四着座と呼ばれた重臣の一人、津田元匡に与えられます。以後津田氏は陣屋を置いで自分手政治(独立行政)を行い八橋は幕末まで町方支配が続きました。

街道沿いに発達した町並みは東西に長く連なりますが、伝統的な町並みの密度はあまり高くはありません。町のまん中付近に桝形が残り、その周辺に清酒「伯陽長」の江原酒造本店の商家建築を初めとする伝統的な町並みが残り、宿場町の面影を残しています。

この八橋からJR山陰本線を越えた南側の浦安地域は江戸時代には市場町として栄えた場所で、その一角には鳥取を代表する銘酒「鷹勇」の大谷酒造があります。
酒蔵周辺にも古い面持ちの町並みが残り、大谷酒造の本家邸宅もまた伝統的な佇まいをしています。
 
 
 
少し南にある浦安地区には鳥取を代表する銘酒「鷹勇」の酒蔵がある
八橋の酒蔵          
清酒 伯陽長 江原酒造本店 鳥取県東伯郡東伯町八橋1400 0858-52-2203    
清酒 山陰酔喜元 原酒造 鳥取県東伯郡東伯町八橋148 0858-53-2011    
清酒 鷹勇 大谷酒造 鳥取県東伯郡東伯町浦安368 0858-53-0111