平成の大合併で山口市の一部となった旧徳地町(佐波郡徳地町)島地地区は徳地町の中でも中心部の堀地区に次ぐ2番目に大きな集落で、堀地区の南東約5km、島地川の中流に位置します。集落の東西に島地川と矢井川の2つの川が流れ、その中島にあたることから島地の名がついたと云われています。古くは上徳地に属していました。
中世から近世にかけては島地市という名で、月別の4・12・18・20・28日の五歳市が立つ市場町として発展しました。商工業が軒を連ね高札場や駅馬も置かれ、宿場町の機能も有していました。
明治になると萩藩の統制から開放された徳地和紙は紙商人による売買へとシフトし、その取引中心地として島地市はより繁栄していきます。中でも「伊勢屋」を号する北川家が徳地紙を一手に取り扱いました。しかし明治38年に徳地和紙を独占していた伊勢屋が倒産し、徳地和紙は急速に衰退していきます。伊勢屋の倒産は、機械製紙に対抗してコストダウンの為に品質を低下させた事で信用を一気に失った為と云われています。現在は温泉も湧くこの島地地区の旧道沿いには、はかつて島地市として栄えた町並みの名残を見る事ができます。
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