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竹原市の中心部から国道432号線を北へ約4km、賀茂川を挟んだ同川右岸の山すそに、伝統的な商家の家並みが連なる集落があります。
現在東野町と呼ばれるこの地域は、古くは竹原荘本荘の一部で、北接する西野町と共に成立しました。江戸時代になると、志和荘や高屋荘にある東村(東野村)と区別する為、竹原を冠称して”竹原東野”と呼ばれるようになります。
広島藩の蔵入地でもあった竹原東野村は、楮(こうぞ)・煙草・茶などを産物とした在郷町に発展。町には大工や数軒の紺屋があり、明治期になると酒造家3軒、醤油醸造家3軒、桶屋に左官、鍛冶屋などを有する、人口約1,000人を越える商業の町に成長しました。
国道2号線と竹原市街を結ぶ国道432号線は「水ノ口往還」と呼ばれる道で、賀茂川の対岸沿いに新道が整備されます。やがて国道432号線に昇格・拡張整備されていきますが、これにより旧道沿いの町並みは孤立し、往時のままの姿で残る事になったようです。 |
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