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東広島市北部の安芸高田市との境に位置する鷹ノ巣山を源流に、三原市で尾道糸崎港(三原瀬戸)に注ぐ沼田川(ぬたがわ)は、永年にわたる土砂の堆積によって、その下流地域は河原が周辺の土地よりも高い天井川となって、ひとたび増水の際には堤防を決壊して周辺地域に甚大な被害をもたらしてきました。
三原市からJR山陽本線で一駅目、旧豊田郡本郷町はそんな低地に位置し、現在沼田川を隔てる堤防上を走る国道2号線や主要地方道から見下ろす小さな町ですが、古くは沼田荘の中心地である沼田本郷に始まり、江戸期から明治期にかけては豊田郡の行政・経済の中心地として繁栄していた町であり、また山陽道の宿場町でもありました。
宿場町時代の本郷には200軒あまりの町家が並び、旅籠屋関連は約70軒、さらに藩営の本陣である「御茶屋」が置かれていました。
また、沼田川舟運の要港、また三次藩から同藩の外港であった忠海を結ぶ三次街道の中継地も兼ねた物流の要衝として大いに繁栄したようです。
その後、明治期になると豊田郡の中心は瀬戸内海の要衝であった忠海に移されますが、明治27年に山陽鉄道・本郷駅が設置されると、再び交通・物流拠点の地位を取り戻す事になります。
しかし、時代の流れと共にそれらいずれもの町の繁栄を支えた要素は失われていき、現在はひっそりと堤防の影に孤立した閑町の印象しかありません。また往時を偲ばせる伝統的な家並みも壊滅的に残されていないのが不思議でなりません。 |
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