半島を横断して宇和島と窪川を結ぶローカル線のJR予土線。宇和島駅を出てゆっくりと標高を上げ山をいくつも越えて、ようやく盆地に出た9つ目の駅が松野町です。高知県に接する人口約4,000人ほどの町で愛媛県下で最も小人口の町と言われています。昭和30年に松丸町と吉野町が合併し、それぞれの名を取って今の町名となりました。松丸と吉野はそれぞれ宇和島藩とその支藩である伊予吉田藩の領地で、両藩によって計画的に造られた町でもあります。ここでは松丸について紹介します。
伊代吉田藩は宇和島藩伊達家の相続を巡るお家騒動の末に、後始末として生まれた藩で、宗藩と支藩の確執は両藩のかかえる両村域にも影響が及んでいました。土佐街道の要衝であった当地には、それぞれの藩が政治的に在郷町を整備し、土佐との物流基地としてまた、宿場町として発展していきます。
宇和島藩領松丸の在郷町としての機能は明治に入り宇和島鉄道が開通するまで続きました。
特に松丸には昭和初期まで製糸工場があり、70戸あまりの商家が集まる繁栄ぶりで、旧土佐街道沿いには酒蔵「正木本店」の重厚な蔵屋敷や味噌醸造蔵の他、旧問屋や商家など白壁土蔵の伝統的な街並みが残り往時を偲ばせています。鉄道の開通によって宇和島通勤圏となった松野町では人口減少が著しく、町の活性化の為に旧街道沿いの町並みが整備されはじめているようですが、無住の建物や老朽化が激しい建物などは朽ち果てるのに任せてしまっている様子で、財政的にも建物本体の修復までは手が回らないのかも知れません。
(2007.8)
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