|
|
家中とはその名の通り、藩主の家臣の事で多度津町家中は、江戸時代多度津藩の家臣が住む武家屋敷町でした。
多度津陣屋は東新町と多度津工場付近にあり、大手筋と呼ばれるこの通りを中心に鍵の手・袋小路など往時の遺構を残しています。
街並みの中心となっているのは、元家老屋敷で現在も住居となっています。その斜向かいにある家中屋敷は町の資料館となっており人は住んでいないようです。
讃岐丸亀藩の三代藩主京極高或はわずか三才であり、幼主の夭折によるお家断絶を恐れた京極家は高或の庶兄の京極高通に1万石の分封を幕府に願い出て、これが許され多度津藩が成立します。
当初藩主は丸亀城内に居所を置き、多度津藩は形だけのものでしたが四代藩主京極高賢の時に、ようやく多度津に陣屋を設け居所を移したのです。
(2006.8) |
|
|
|
|