JR四国の玄関口である香川県高松駅から土讃線で四国を縦断し高知を目指すと、まずかつてスイッチバック駅が連続した山地を抜けて阿波池田へ、そこからは吉野川の流域の難所である大歩危小歩危を抜けて、また山を越え、ようやく高知平野へと出ます。
その平野部最初の駅が土佐山田駅です。土佐山田町は高知市の北東約20kmに位置する人口約万5000人の町で、2006年3月に同郡香北町、物部村と合併して香美市(かみし)となりました。
この地域は古くから山田野とよばれ、香美郡北部山地と高知平野との接点に位置して、内陸山地との交易、物産の集散地として発展していました。
中世には山田郷と呼ばれ、戦国期には楠目城主山田氏の城下町として発展し市が開かれていました。山田市町とよばれたこの市町は、後に高知城下へ拠点を移転した山田氏と共に城下の下町に山田町として吸収されてしまい、ここで一度姿を消してしまいます。
時を経て江戸時代の山内家土佐藩の時代になると、土佐藩家老・野中兼山によって藩内各地に新田が開発され、旧山田郷一帯も山田堰と呼ばれる水路の建設と共に新田開発が行われました。新田の中心、かつて山田市町があった場所には正保元年に山田野地村が開かれます。
山田野地村には南から赤岡往還が南から町に入り、中央の赤才(あかしさい)地区で韮生
(にろう)往還となって北へと向かいました。また西には中野道、岩次道が分岐し、さらに
舟入川はその名の通り、高知城下と舟運で結んだ、陸海交通の要衝となりました。
現在も町の中央を東西に走る旧街道沿に沿って商店街が形成されてます。現在国道195号線にあたるこの街道は、物部村を経て阿波方面への最短路であり、古代南海道も設定されたと言われています。また商店街の中央付近の東本町3・4丁目を境に南北の八王子参宮道が交差します。
香美郡の中心在郷町であった土佐山田町には現在も2軒の酒蔵が残ります。これらの酒蔵を目印に町を歩くと、海鼠壁や水切り庇を備えた重厚な商家建築、さらには赤煉瓦に洋風建築など、近世から栄えた市町を偲ばせる風景が、商店街の中にポツリポツリと点在して残されていました
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