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  小見川
おみがわ
 陸路河港の要衝として栄えた小見川藩内田家1万石の陣屋町
 千葉県香取郡小見川町小見川

 構成:商家・土蔵・酒蔵 ■ 駐車場:なし
 
 
房総半島の北端にして付け根。水郷の小京都「佐原」の東、銚子へ向かう途中に、小見川という町があります。小見川は江戸時代には利根川舟運の中継港にして、街道の要衝でもあり宿場町として、さらに小見川藩の陣屋町として発展した町です。
現在の国道356号線である佐原銚子街道と地方道28号線である旭街道が合流し、江戸時代初期にはすでに小見川宿とありましたが、舟運を背景に町場化。銚子ー江戸を結ぶ内川廻りの中継港に加え、周辺農村及び干潟地方から八日市場方面に渡る広域米や諸産物を集め、江戸方面へ積み出す利根川水運の集散地として発展します。
現在は駅前にも人影をあまり見ない、ひっそりとした町ですが、当時は2と7の日には六斎市が開かれ、他に須賀神社、妙剣神社の祭礼市も開かれるほど賑わいました。
江戸期の小見川は本町・新町を初め8町に分かれる規模で、醸造業も盛んに発達し、醤油5軒、酒造4軒、濁酒5軒の記録があります。現在も小見川には1軒の酒蔵と、
1軒の醤油醸造蔵が存続していました。

次ぎに小見川藩について。この藩は江戸時代を通して1万石の目立たない小藩でしたが、 天正18年(1590)『家忠日記』の著者として知られる、松平(深溝)家忠が武蔵忍から1万石で入封して成立しました。しかし家忠は、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城攻防戦で戦死し子の忠利が嗣ぐも加増と引き替えに故郷である三河深溝(ふこうず)へ転封を希望し叶います。次は、やがて徳川幕府の大老となる土井利勝がこの地で初めて大名に列し、下総佐倉下総古河と出世街道をひた走る事になります。
次ぎの安藤信重もこの小見川で大名へ昇格して上野高崎へ。しばらくのあいだ100年あまり廃藩となり、下野鹿沼より内田正親が入って小見川藩が復活。10代続いて明治を迎えました。
現在小見川高校そばにある城山公園は中世の城址で、 江戸時代の小見川藩の陣屋は小見川町立中央小学校がその場所でした。
こぢんまりとした静かな町ですが、伝統的な家並みはほとんど残されていません。
黒部川沿いと国道周辺にわずかに点在して見られる程度で、小見川の地酒「大姫」の飯田本家とちば醤油が現役の商家としては中心的な建造物です。

 
黒部川沿いに建つ「ちば醤油
 
小見川の酒蔵          
清酒 「大姫」 飯田本家  香取郡小見川町小見川178-2 043-496-1111