望月町の郊外、隣接する立科町との間にまたがる茂田井は、この地域で最大規模の古い町並みを残している地区でありながら、その存在はあまり知られていません。
茂田井宿は中山道の正式な宿場町では無く、芦田宿と望月宿の間に設けられた間宿でした。
町並みが残った要因の1つは、集落を縦貫する旧道の拡幅が困難で、地形的要因にもより県道が集落の外側を大きく迂回。その後建設された国道バイパスも遙か遠方の平坦なルートにトンネルで建設された事があります。
しかしそれでは、放置された集落が衰退の一途を辿るだけ。しかしこの小さな集落内には町並みを維持する要素、資本力があったのです。佐久地方を代表する2つの酒蔵の存在です。両社とも地元の名主であった事はその重厚な屋敷が物語り、そして茂田井の町並みの中核を成し、さらにその2社が中心となって町並み保存整備や文化事業を行っているのです。
茂田井は古くから豊富な蓼科山の伏流水と良質な米に恵まれ酒造りに適していました。
大澤酒造は元禄2年に名主市郎右衛門がこの地域で最初に酒造りをはじめました。酒蔵見学の他、敷地内には大澤民俗資料館やしなの山林美術館が併設されるなど、町並み再生以外の文化活動にも力をいれています。
武重本家酒造は明治2年創業で、街道筋には歌人若山牧水の歌碑が残ります。
酒造りの季節になると、大地を霜覆う早朝から蒸し米の蒸気が立ち上がり、伝統的な風景の中で、伝統的な酒造りを行う様子が伺えます。
近年、この茂田井では映画「たそがれ清兵衛」のロケ、およびオープンセット撮影が行われました。そして武重本家酒造の常務取締役・武重有正氏がその様子を記録したサイト映画たそがれ清兵衛茂田井オープンセット「観察記」を個人的に立ち上げています。
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