中山道・木曽路も終わりに差しかかる宿場町、妻籠宿と馬籠宿の間には標高801mの馬籠峠が立ちはだかります。この峠の山頂付近にその名も「峠」という名の集落があります。
現在の住所表記では「馬籠峠」となっていますが、周辺の田畑も含めると、隣りの南木曽町にまたがる集落です。
この峠集落は当時「牛方衆」と呼ばれる牛で荷物輸送を行って駄賃を稼ぐ集落で、この牛方衆を木曽では「岡船」と呼んでいました。まさに陸路の船であるわけです。彼らは荷物を名古屋方面から信州は伊那や松本、はては長野・善光寺平まで運んでいたそうです。
しかし明治25年、中山道三留野宿から木曽川沿いに中津川へ至る賊母(しずも)街道が開通すると、馬籠峠を越える道は旧道となり表舞台から消えてしまいます。
旧山口村は北部の賊母(しずも)街道(現在の国道19号線のルート)が通る、山口地区と南部の神坂(みさか)地区からなり、この取り残された神坂地区は生活文化圏が中津川に属してした為に、古くから越県合併が巻き起こっていました。
この紛争を沈めるために、旧中山道は整備が進められ、早い段階から集落を迂回するバイパスが敷かれました。これにより峠集落は街道時代を偲ばせる家並みが残される事になったのです。
しばらく沈静化していた合併論争も平成の大合併で再び浮上。2005年、困難の末に歴史愛好家からは惜しまれる中で、山口村の悲願が実現しました。
(2009.5)
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