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  上多気
かみたげ
 山間に残る伊勢本街道宿場町の町並み
 三重県一志郡美杉村上多気 【三重県津市美杉町上多気】2006年合併

 構成:商家・旅籠建築  ■ 駐車場:なし
 
 

かつて奈良と伊勢神宮を最短で結んだ参宮道・伊勢本街道。奈良県最後の宿場町である神末宿(こうずえ)から国境を越え、杉平・石名原の集落を経て奥津宿へ辿りつきます。続いて飼坂峠を越えて上多気宿、そしてさらに峠を越えて仁柿宿へ至ります。
ここまで来れば伊勢神宮へは目と鼻の先。
さて、伊勢奥津とともに山間の宿場町である上多気には、かなりの古い町並みが残されています。上多気は伊勢本街道の宿場町である他、北へは北へ下ノ川を経て波瀬村(一志町)へ通じる多気街道(現県道一志美杉線)と南へは和歌山街道の通る川俣谷への庄司越え(現国道422号線)の分岐する交通の要衝として賑わい、山間の宿場町ながら旅籠の数は20を数え、その繁栄は明治中期まで続いたといわれます。
集落を分断する立川に「大橋」を境に西が谷町、東が「町家」と呼ばれ、今なお伝統的な旅籠建築や商家などの他、街道最大級とされる高さ4.9mの常夜灯が残されています。また現在も万屋・角屋・中屋・吉野屋を初めとする当時の屋号が数多く残り、なかでも結城屋は今も現役の旅館を営んでいます。さらに他にもなどが見られます。

この上多気は、古く南北朝時代に北畠氏の城下町として栄え、南伊勢の都と称されていましたが、北畠氏の滅亡後には早くにその姿形が失われていきました。現在北畠氏の居館(多気城)跡は庭園となり歴史文化財として保存公開されています。
現在上多気地区では、失われた旅籠建築の復元など、宿場町としての整備事業が計画されていました。


 
 
町家地区には旅籠建築や商家が軒を連ねる