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丹生の集落は伊勢自動車道・勢和多気ICの北西約3kmの場所にあります。相可から古江に至る県道421号線・勢和兄国松坂線が集落を通ります。この県道がかつて伊勢街道とも呼ばれた和歌山別街道であり、丹生はその宿場町でもありました。
先ほど出てきた相可と櫛田川を挟んだ対岸の射和・中万は「伊勢白粉」と呼ばれた水銀の加工と販売で富を築いた場所で、今でも往時を偲ばせる大きな豪商の屋敷が数多く残されています。
この水銀が産出された鉱山がこの丹生であり、丹砂(水銀の原料)が生み出されるということが地名の由来になっています。水銀採掘の歴史は古く、飛鳥時代にはすでに見られていたらしく、当初は仏像鋳造のメッキとして使われ、また原鉱の「辰砂」は朱塗りには欠くことのできない顔料となりました。
奈良期から室町期にかけて本格的な鉱山として栄え、この地を支配した豪族飯高氏を繁栄に導きます。江戸期になると水銀は梅毒の薬として精製され、「伊勢白粉」のブランドは全国に知られるようになりますが、そのころには産出も減少し、やがて明暦年間(1655〜58)のころには閉山してしまいます。
丹生は小さな集落ですが、事故や労働災害に見舞われる事の多い鉱山町ゆえか、寺社仏閣の数が事のほか多く、文化財級に荘厳な佇まいのものも少なくはありません。
その中でも丹生大師は他の地域からも多くの参詣客を集めるほどで、鉱山町時代に
「丹生千軒」と呼ばれた町並みは、その後も多くの旅人と賑わったようです。
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