出雲市の南に位置する旧掛合町の中心市街からさらに南東へ約9km。出雲大社の門前に注ぐ神戸川の支流・波多川の上流域に位置する場所に「波多」という上質な町並みを残す集落がありました。頓原町と簸川郡佐田町に挟まれた山間のこの小さな集落は、大呂や反辺から頓原へ通じる往還の宿場町として発展した集落で、古来には「畑」と書かれていました。一方で中世の出雲風土記ではすでに”波多郷”の名が見え、南北朝時代に波多村と記されています。江戸時代になると、再び”畑村”となりますが、明治に入ってから再び波多と記されるようになりました。
波多村は飯石郡に属していましたが、中心部や幹線からも外れていた為に、簸川郡の経済圏に属していました。交通の不便な内陸の山間部に位置していますが、沿岸の都市部との繋がりに加え、名勝地・三瓶山への通過点という事もあって、波多川とそれに沿った旧道沿いに形成されたこの波多集落は、県道が集落をバイパスした事も手伝って
、予想外の家並みを今もなお保っていたのです。
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