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鵜峠

うど

かつて鵜峠鉱山で栄えた小さな入江の漁村集落

島根県出雲市大社町鵜峠 【旧・簸川郡大社町2005年合併】

 


島根半島の西端部、出雲大社の真裏に位置する日本海に面し、廻船時代の面影が残る港町、鷺浦の東に接する小さな漁村集落”鵜峠”。「うとうげ」では無く「うど」と読むこの集落は、「出雲風土記」に記される「宇太保浦」にあたり、中世に宇道、宇峠とも書かれていたものが、江戸期ごろから鵜峠となったことに由来します。集落は入江に面した細長い谷間に寄り添うように密集し、道路が整備された現在は集落を峠道から俯瞰する事ができますが、かつては陸の孤島に等しい集落でした。それでも、中世に出雲大社領7浦の一つに数えられた港でした。



島根半島西端部の商港としては、日御碕神社門前の宇龍や隣の鷺浦がありますが、この鵜峠が活気を帯びるのは、幕末に近い慶応4年に鉱山が開発された事によります。この鉱山は明治4年に勝部本右衛門の経営に移り、明治10年にそのピークを迎えますが、最盛期には3,000人の従業員が働いていたそうです。その後、鉱物から石膏の産出に変わっていきますが、これは、わが国で初めてのセメント用石膏でもあったのです。かって大阪市場で銅の値段を左右するほど良質で豊富な鉱石を産出し、その後三井鉱山の傘下に入った鵜峠鉱山も、昭和45年に全面閉山となりました。


そして、かつての鉱山関係者はこの集落から皆去り、鵜峠は再び漁村集落に戻ったのです。鵜峠は明治22年に隣りの鷺浦と合併して「鵜鷺村」(うさぎ)という愛らしい地名となりますが、その後大社町となり、それぞれが「字(あざ)」となって今に至ります。








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