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JR予讃線は山間部の内子を経由する内子線が高速度バイパスとして建設された為に、現在はその内子線ルートが事実上の本線となっています。一方で旧来からの海岸線を通るルートは通称「長浜ルート」と呼ばれています。
長浜は肱川河口に開け伊予灘に臨む小さな港町です。かつて長浜港ができる以前の肱川河口には無人の荒野・三角州が広がっていました。
しかし新しく大洲藩に入封した加藤貞泰によって藩の外港建設がはじまります。
長浜は大洲城下と周辺領内から物資を集積する 肱川の河口港として、また瀬戸内海海運の港町と2つの機能を持つ港として発展し、町には商家が立ち並び大洲藩の米蔵や奉行所が置かれ、一大拠点として急速に発展していきました。その繁栄は昭和の時代まで続きます。
しかし国鉄予讃本線の大洲開通にともない、長浜港の機能は衰退していきます。
肱川の河口には長浜のランドマークである昭和10年に架けられた西日本唯一のバキューム式可動橋「長浜大橋」があます。車1台が相互通行する赤色の橋。その延長線上に商店街通りが延びています。この道筋がおそらく旧街道です。
通りには古い町家が点在していますが、ほとんどは改装され、また大きな看板に隠されています。しかし、これから徐々に街並みを回復していこうという雰囲気が随所に見られました。現在港の機能は町の北側、埋立地に移っているため肱川河口には河口町時代を偲ばせる静かな水辺の家並み風景がありました。
(2007.8)
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