一路一会>鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・身延線・御殿場線ぐるり旅 | |||||||||
青春18キップで廻る 身延線・御殿場線ぐるり旅 |
|||||||||
4 |
|||||||||
東海道線は沼津駅に14:22に到着。最盛期よりは衰退したとはいえ沼津は大きな町だった。御殿場線の接続は8分。6番線に止まっているのは身延線と同じ311系2両編成だ。が、なんと全ロングシートであった。ああ、旅情どころではない。列車はほとんどがワンマン運転であるが、この車両は2両の普通車両だった。御殿場線にも、先の身延線同様に列車番号の末尾が「M」と「G」がある。ワンマン車両ならセミクロスシートだったのだろう。食事(駅弁)がまたお預けだ。この(2548M)に乗り込み14:30に沼津駅を出発する。 御殿場線は沼津から国府津まで60.2kmを結ぶ山岳路線。今はローカル線だが、当初の明治時代から昭和時代初期にかけては東海道本線だったのだ。急峻な山岳路線ゆえに「函嶺越え」と呼ばれる東海道本線最大の難所であった。しかし昭和9年(1934)伊豆半島の付け根を横断する丹那トンネル開通に伴い、東海道本線は御殿場線は支線に降格してしまった。さらに当初は複線だったものが、戦時中にレール他の路線建設に供与するため、単線にされてしまう。今でも随所に複線時代の遺構を見ることができるのだ。 沼津駅を出発した列車はしばらく、工場地帯や都市近郊を走り抜け、愛鷹(あしたか)山麓の22‰の斜面を軽快に駆け上る。このあたりの地形は国道や東名自動車を車で走っていてもその勾配が十分に感じられる。裾野付近は火山灰からなる土地ゆえに田畑はできず、それゆえ集落の無い荒野だったそうで駅もなかった。しかしそれが今の工業団地や研究施設地帯となり、中間駅がいくつも設置されたそうなのだ。 |
|||||||||
5 |
|||||||||
さて蒸気機関車の時代は、この御殿場線にはその時代の最も強力な機関車があてられた。しかしそれでも非力さはいなめず、山越えのために国府津、沼津の各駅で補助機関車(補機)を連結して峠に望んだ。そして最高地点の御殿場でそれら補機を解放したのだが。停車時間を切り詰めるため、補機連結停車はたった30秒、解放は御殿場付近を走行中に切り離す荒技をおこなっていた。今となっては見ることができない風景だ。 相模金子駅は川にまたがってホームが建つのが印象的。ちなみにここから少し離れた、酒匂川対岸の開成町には「酒田錦」の瀬戸酒造店がある。こちらも豪農風の酒蔵だが現在はメルシャンの傘下である。 |
|||||||||
6 |
|||||||||
やがて小田原厚木道路と東海道新幹線の下をくぐると、右手から東海道本線が迫ってくる。それに合流して、御殿場線は16:03に国府津駅に到着した。もう少しで日没、ギリギリマジックアワーだ。ここから新宿まで湘南新宿ラインの特別快速でひとっ飛びである。携帯電話でグリーン席券を購入。旅の締めはゆったり駅弁と晩酌で完結するはずだったのだが、駅には駅弁を売る店は無かった。立ち食い蕎麦屋も見あたらない。国府津駅は駅弁の販売数で関東1位だったとどこかで読んだのだが・・・。 駅前にお弁当屋とマイナーなコンビニがあった。コンビニにはあまり食指を伸ばしたいものは置いてなかった上に、アルコールもなかった。仕方がないのでスナック菓子だけ買った。アルコールはグリーン車の車内販売で買うことにした。 16:13に湘南新宿ライン(3670E)が到着。15両編成は毎度、旅の終わりを締めくくる迫力だ。列車は横須賀線経由で新宿に17:22着。ぐるりと甲斐・駿河を一周して一筆書きのように戻ってきて旅は終わる。 |
|||||||||