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   青春18キップで廻る   
  身延線・御殿場線ぐるり旅  

 

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 なぜ、こんな時期に鉄道旅かと言えば、今年の冬に計画している大規模な「青春18キップの旅」に備えたウォーミングアップと荷物の検証。つまりテストランと余剰分のキップの消化を兼ねた旅なのである。今年は東北に始まり近畿・東海・北陸とJR線乗り続けてきた中で、ずっとのどに引っかかった小骨のような存在であった首都近県のローカル線の一つ、それが身延線と御殿場線であり、またちょうど日帰りで良い距離でもあった。

 週末はちょうど雨が降っているので、朝、思い立った様に出発を決意。今回は近県なので深夜早朝始発に乗る必要もなく、6時すぎに家をでた。中央線で新宿を出発。当初は毎度の高尾駅で乗り換える予定だったが、なんと今乗っている列車に接続する八王子駅8:04発・甲府行きの列車があるとの車内放送。その(529M)は115系3両編成で、東京圏発では初の明るい信州カラーだった。

 比較的時間が遅いこともあって、車内は登山客であふれていた。こんな雨の日に少し気がかりではある。気温もかなり低めだが、レインウェアーの上に降り注ぐ冷たい雨は十二分に体力を奪うのだ。

 それよりも、こんな明るい時間帯に中央本線で甲府入りするのは2回目の事だが、前回は途中で熟睡していた。よって甲武国境の笹子トンネルを潜る前に車窓から見える”笹一酒造”の酒蔵は、車では何度も見ているが、列車の車窓からは初めての光景だった。河岸段丘上の山の斜面に建つこの大きな酒造工場は甲州街道沿いの有名な観光名所だ。

 約4,600mの笹子トンネルを抜けると甲斐の国。勝沼の高台から甲府盆地を大きく周回しながら高度を落とし、塩山や石和温泉を経て甲府駅には10:04に到着した。身延線は10:54の発車(3726G)で、50分近い時間があるため、駅前にそびえる甲府城址を訪れる事にした。
 甲府近郊は郊外のバイパスを車で何度も往来しているが、甲府市中心部に足を踏み入れるのはおそらく今日が始めてだ。そして甲府城がここまで立派に残されているとは思ってもいなかった。(甲府城を見たのは前々回の鉄道の旅にで)天守閣は無いが櫓門などが復元されている。石垣も含め立派なものだ。その甲府城が中央本線・甲府駅のすぐそばに迫り、かすめるように列車がホームへ滑り込むのだ。というよりも甲府城の一部は中央本線によって分断されているらしく、甲府駅が甲府城の中に建っているといっても過言ではないか?飯田線の長篠城駅を思い出した。

 身延線の車両はJR東海の新型車両313系2両編成で、乗り心地の良さは過去の旅行で確認済みだ。単線のローカル線ながら電化されている。甲府城へ向かう途中に回送列車を見ていると、なんとロングシートっぽいではないか。山梨エリアは関東甲信越地区において駅弁が質量とも一番充実していると思う場所だ。よって時間は半端だがここで駅弁を買おうか迷ったが、ロングシートでは食事ができない。が、昨日から何も食べていないのと、ミニ柿の葉寿司(3個入り)が美味しそうだったので、笹一酒造の地酒ワンカップと共に買ってカメラバックに偲ばせ、電車が来るのをまった。

 
 
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 10:54発車の(3726G)がホームに入線してきたが、2両編成のワンマン車両でシートはセミクロスだった。さっそく窓際席を確保して、小雨の甲府城を肴に地酒と鯖寿司で舌鼓を打つ。313系は2000番台がロングシートで、3000番台はセミクロスシートでワンマン運転対応車両なのだ。中央西線もこのタイプ。
 さて、お気づきになった方もいると思われるが、身延線の列車番号の末尾はGである。大都市近郊線では特殊なアルファベットが用いられているが、身延線には普通のM(電車)もある。で、Gとは何かといえば、ワンマン運転を指すらしい。おそらく末尾がMの編成は朝見たロングシート車だったのだろう。

 身延線は甲府から静岡にかけて、富士山と南アルプスに挟まれた富士川の流域を走る山岳路線である。とは言うものの、中核都市の甲府市と富士市それぞれの近郊区間では通勤通学路線でもあり、先のロングシート車であり、また大半がそれぞれの都市圏で折り返し運転を行っているため、全線を通して走る列車は日に数本しかない。しかし特急列車の運行本数はまあまあある。身延線の全長は88.4kmだが、山岳区間では特急でも表定速度が50km/h に制限されるため所要時間は約3時間程度かかるのだ。

 この路線も古くは私鉄として誕生しており、旧富士身延鉄道と呼ばれ日蓮宗総本山の身延山久遠寺のある身延まで建設された。その後国有化され、当時の低規格のまま電化、今に至る。そのため身延線を走ることのできる車両には車高制限がある。国鉄時代には身延線用に改良された車両が走っていたが、現在のJR東海の新型車両のほぼ全てはこの身延線を基準に設計されているらしい。

 甲府駅を出ると、列車はしばらく中央本線と併走してすぐに金手駅に停車。次の善光寺駅は門前町の雰囲気は無い。北側の離れた場所にあり甲斐善光寺とも呼ばれている古刹だ。武田信玄により戦火に見舞われた長野の善光寺から本尊が移されたとか。ここから中央本線と別れ、進路を南にとる。南甲府駅を過ぎ国母駅で最初の列車交換。ようやく甲府市街を出て田畑が目立つ近郊住宅地に風景が変わる。常永駅を過ぎ、つぎの東花輪駅は少し大きな駅だ。笛吹川を渡り、山岳部は目前。いよいよ自然の中に入っていく。甲斐上野駅、芦川駅を過ぎるといよいよ市川本町・市川大門である。

 この列車はつぎの鰍沢駅で折り返すので、富士行きの後続車に乗り換えるのだが、あえて手前のこの駅で降りたのは理由があった。鰍沢口駅周辺には見るべきものがなかったのもあるが、市川大門にある酒蔵を訪れることであった。電車は市川大門駅に11:32に到着。特急「ふじがわ」と列車交換。竜宮城のような市川大門駅は町が駅舎を建設し同町の公民館を併設。元々は隣りの市川本町駅が町の玄関口で、急行も停車駅だったが、急行が特急「ふじがわ」に昇格するのに合わせ、市川大門駅が特急停車駅に昇格した。
 駅は初めてだが、この町は2年ぶりだろうか。市川大門の商店街に大正・昭和初期の建物がわずかに残る。かつては2軒の酒蔵もあったが現在は二葉酒造の1軒のみ。町並みのシンボル的存在だ。商店街は駅より予想以上に遠かった。後から地図を見ると市川本町駅で降りたらすぐだったのだが。しかし、商店街には市川本町駅を示す表示はなかった。狭い地元民だけが知る路地を抜けて駅にたどり着くのかも知れない。
 なんとか辿り着いた二葉屋酒造はなんと廃業していた。30分しか時間が無く、片道15分ほど要するので、大急ぎで駅へもどる。

 
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 次の電車は甲府から終点の富士まで、日に数本の直通列車だ。12:05に市川大門に到着。(3630G)ワンマン2両編成・セミクロスシートでまた安心。つぎの鰍沢口駅は結構大きな駅舎でおそらく有人駅。鰍沢は富士川舟運最大の河港町にして富士川街道の宿場町であり、往還には今もその面影が残るが、JR身延線鰍沢口駅からは富士川を越えてかなり離れている。あくまで鰍沢「口」駅だ。
 さあ、鰍沢を出発するといよいよ山岳路線へ突入だ。身延線は全線にわたり富士川の左岸を走り、最後まで本流を渡ることはない。落合駅を過ぎ、日本一のハンコの町らしい甲斐岩間駅でまた特急「ふじがわ」と交換。ここからしばらく富士川と別れ山岳部を走るのだが、ここに来て酔いが廻ってきた。意識はもうろうとしている。朝も早かったし、カップ酒が今頃効いてきた。睡魔にみまわれる。気がついた時には下部温泉駅を過ぎていた。

  次ぎの波高島駅(はだかじま)を過ぎると再び富士川沿いにもどる。ようやく意識が戻ったのは日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の玄関口である身延駅だ。身延線の前進だった富士身延鉄道はこの身延山への参詣鉄道として始まったのだ。南部町の玄関口内船駅。ちなみに中世から江戸期にかけて現在の青森県の一部と岩手県を支配した盛岡藩南部氏はこの地の出身であった。十島駅を過ぎると身延線はクネクネと複雑な地形に沿って蛇行する。建設費を抑えるためにトンネルや橋梁を極力避け、地形のゆるやかな部分を選んでレールを引いたのだろう。やがて列車は静岡県に入る。不思議と茶畑の風景が車窓に見え始める。芝川駅周辺は製紙工場が多い。駅前には旧新富士製紙の王子特殊紙の工場が。芝川には「富士錦」富士錦酒造もある。

 芝川駅を出ると身延線は富士川と別れ、進路を北に取り、大きくΩの字に周回し、富士宮市・富士市の近郊路線へと変わっていく。線路も単線から複線になる。源道寺駅・富士根駅・入山瀬駅と秘境のローカル線のような名称の駅が続くが、この区間には製紙工場地帯である。
 富士宮市は浅間神社の門前町。酒蔵も3軒ある。静岡を代表する「高砂」の富士高砂酒造、「白糸」牧野酒造に「富士正」富士正酒造だ。
 いつのまにか単線から複線になっている富士市近郊を走り抜け、東名自動車道の下を抜けると竪堀駅からは高架線になった。そして東海道本線に合流して富士駅には13:59に到着。富士駅もまた王子製紙の城下町の様相だ。

 東海道本線は14:02発(1458M)と3分の接続。沼津までわずか5駅で、国鉄末期に製造されたロングシートの211系3両の通勤列車だった。速度制限のあった身延線にくらべると、ほぼ直線のレールを時速100キロを超える猛スピードで走る。


 
Page1■ 身延線で甲府城を出発
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