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長野県に接する群馬県最西端の南牧村。その中心市街である大日向と最奥の羽沢集落のちょうど中間に位置する砥沢集落はかつての姫街道沿い形成された谷間集落で、名前が示す通り良質な砥石の採掘で栄えた場所ででした。砥石の採掘はかなり古くから行われていた記録があり、江戸時代に入ると幕府の御用砥山となり本格的な砥石の生産が高まります。砥山の経営にあたった名主を砥山名主と呼び、行政を担う村方名主とは独立した権限をあたえられていました。
中山道脇街道筋でもあった砥沢には「南牧の関所」が置かれました。これが南牧村の由来になります。さらに羽沢の名主市川家により国境をまたいだ信州佐久の新田開発が行われると、そこで作られた佐久米は余地峠、熊倉集落を経由してこの砥沢に運ばれました。そして殻市・九斎市が立ち、次第に宿場町の形態へと発展、造酒屋や商家が軒を連ねるようになります。
明治に入ると砥石の新鉱脈が発見され、販路は関東甲信越から東海地方まで拡大。
同じ頃住民の生活産業は養蚕業から収益性の高い製糸業やコンニャクの生産などにシフトして村は栄えます。
砥石採掘は昭和以降に減産しやがて廃山となりました。また信州佐久地方と下仁田地方を繋いで発展した市場町としての機能は鉄道輸送にその役割を奪われ、砥沢は急速に衰退していくこととなります。
街道筋には養蚕民家の特徴である2階バルコニーが張り出した「せがい造り」の民家が軒を連ね、中には白壁の塗籠造りの商家やかつての酒蔵がひっそりと佇み、時代がチルド保存されたかのような市場町・宿場町を偲ばせる街並みが残されていました。
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