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粕淵

かすぶち

かつて石見銀山街道と水陸交通の要衝として栄えた町

島根県邑智郡美郷町粕淵  【旧・邑智郡邑智町】2004年合併

 



江津市の東約35km、江の川の中流域は途中、北側へ大きく「逆U」の字に迂回しており、その北辺部に位置する小さな町が旧お邑智町の中心部である粕淵です。現在、三瓶山の登山口ともなっているこの粕淵地区は、江戸時代に大森銀山で産出された銀の陸上輸送にとって重要な中継地点として栄えた町でした。近世まで温泉津港から海路で運ばれていたの銀は、江戸時代初頭に初代大森代官・大久保長安によって中国山地を縦断して広島へ至る陸上輸送の「銀山街道」が整備されます。粕淵村の中でも中心町部の小原(おばら)が水陸交通の要衝で宿場町でした。未明に大森を出た銀の輸送隊はこの小原で荷を付け替えられ、昼食をとるのが習わしでした。江の川の河原近くには小原口番所が置かれ、小原には本陣も置かれていました。




幕末まで本陣を勤めた林家は広大な敷地を持ち、これが現在は旅館として営まれています。重厚な門塀に土蔵からなる荘厳な佇まいは、往時の繁栄ぶりを偲ばせます。

このように、粕淵は邑智郡内における要衝の町であった為に、江津と三次を連絡する三江線はこの粕淵を避けることはできず、江の川の地形に沿って大きく北側に迂回するルートで建設され、陰陽連絡線としての機能を失う事となったようです。





町の玄関口である粕淵駅は美郷町商工会館との合築で、立派な駅舎ですがホームは1本しかなく、運行分岐点も実は町外れに位置する次の浜原駅なのです。まあ、見方を変えれば商工会館の中に駅がテナントとして入っているとも言えなくはありません。一方で粕淵は四方へと街道が延びる交通の要衝で、これは今も変わりません。また大田市と広島県呉市を結ぶ陰陽連絡道の国道375号線が町を縦貫しますが、いずれの道もほとんどが通過交通であって町の発展にはまったく関わらない中、過疎化の波は衰える事なく町を包んでいます。







 

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