島根県の最東端、風光明媚な城下町として広く知られる津和野と、日本海に面する益田市の中間に位置する鹿足郡(かのあしぐん)日原町。町の中心部は高津川と津和野川の合流する場所にあって、2つの川に併走して国道9号線と国道187号線が分岐しています。国道9号線は山口県の県庁がある山口市、そして下関を経て九州へと繋がる旧山陰道で古くからの重要な道でした。もう一つの国道187号線は、六日市を経て錦帯橋で知られる吉川氏の城下町・岩国で山陽道に合流して、広島・大阪方面へと繋がる、いずれも重要な陰陽連絡道です。江戸時代のこの一体は津和野藩の支配でしたが、日原村は幕府領だった事からも、この町が重く見られていたことがわかります。
日原の市街地は2つの川、街道の合流付近から高津川に沿って細長く形成されています。しかし益田街道の中継地、高津川水運の要衝として、宿場町、在郷町と発展を続けたのは少し益田寄りにある青原のほうで、農業中心の街村だった日原はやがて、たたら製鉄や銅山経営やこの地域の主要産業であった和紙の生産と取引が行われる在郷町として発展していきます。
国道9号線、旧山陰道に沿って敷かれたJR山陰本線。中心市街から少し離れた場所にある日原駅が日原町の玄関口です。この日原駅から分岐して国道187号線に沿って岩国で山陽本線に接続する陰陽連絡線として旧国鉄時代に「岩日線」が計画されていました。路線名はもちろん「岩国」と「日原」の頭文字を取ったもの。岩日線(岩日南線)は山口県の錦町まで開通したところで、国鉄再建法によって建設は凍結。全通の夢は果たされないまま、岩日線は第3セクター・錦川鉄道に分離されていまいました。
昭和の郷愁漂う町並みを残しながらも、江戸期から明治に掛けて栄えた在郷町の面影がほとんど残らない日原町の中心市街の北端部から、高津川の右岸に沿って北へと延びる旧道沿いに伝統的な家並みが残されています。のどかな街村の形態、そして郵便局がこの場所にある事からも、こちら側が江戸期から明治期における在郷町日原の中心だったと思われます。
町の中心市街には今も小さな旅館がいくつかあります |