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一路一会鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る飯田線の旅
   青春18キップで廻る         
 飯田線の旅      
 
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 青春18キップでどこを廻ろうか、第2弾は飯田線・日帰り乗車とした。
昨年の只見線を終えた後、完全に「秘境を行くローカル線」に魅了され、すぐに地図で次の候補地を検索。東京を起点に一泊ないし、日帰り可能な秘境線。それが飯田線だった。

 飯田線は愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ195.7kmの地方交通線。路線としての正式な終着駅は辰野までらしいのだが、大半は岡谷、一部上諏訪まで乗り入れている。
  かつての飯田線は秘境路線に加え、旧形国電の宝庫だったらしいが、現在は・・・、多少の愛嬌はあるものの、何の個性も無い2両編成の「電車」に入れ替わってしまった。しかし飯田線は今なお秘境駅の宝庫として、鉄道ファンの聖地の座を守っている。
 さきほど「電車」と書いたが、そう飯田線はなんと秘境路線ながら、全線が電化されているのだ!それは飯田線の生い立ちによるものなのだ。もともとは直結した4社の私鉄路線(豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道)を戦時国有化・統合したことで成立した路線であるため、実に94の駅があり、それらの平均駅間距離は約2.1kmと大都市の市街地路線並みなのだ。ゆえに全線で6時間を要する。只見線の5時間の上を行くのだ。聞くだけでヘビーである。

 さて、この飯田線が通る三遠南信地方、つまり三河・遠江・南信州の3国境が接するまさに秘境であり、落人が隠れ住んだとも言われている集落もいくつかある。あまりの奥深さに古くから「遠山郷」とも称されている地域。
 おまけに、不安定な中央構図線(フォッサマグナ)地帯でもある為、道路環境もなかなか整備が追いつかない現状がある。国道もとぎれとぎれで幹線道路すら存在しない地域だ。(高速道路を建設する計画はあるが)
 現在は平成の大合併で大半が浜松市、新城市、飯田市と3つの市に取り込まれたものの、大都市のブランド名が冠されただけで、地形も文化圏もその実需に変わりはない。この地域は以前から古い町並み探しで、何度も車で訪れているが、海を持たない信濃国の生命線である「塩の道」と秋葉信仰のローカルな道くらいで、交通体系も今と昔はそう大きくは変わらない様で、各村落は隔絶し、その後の発展もないため、探訪対象としては非常につかみどころが無い地域でもあった記憶がある。

 飯田線は、南端部を豊橋圏・天竜境圏・北端部を飯田圏・岡谷諏訪など南信・中信圏といった都市型通勤通学生活圏を抱えている為に、それぞれのエリアでは非常に乗降客が多い。平日・休日ともに都市部の状況とさほど変わらない感じで、決して赤字ローカル線ではない。ゆえに「南北それぞれの生活圏」においてだけは列車の運行本数は多い。特に、2つの都市圏に挟まれた「真ん中」の山岳地帯が圧倒的に少なく、この区間だけ「ローカル線」なのだ。そして問題は全線を通して接続する本数が壊滅的に少ないことだ。少なくとも1日で全線を乗り切るには4本ないし、5本しかない。もっとも、全線通して利用する客など、鉄道マニアくらいしかいないと言えば、もともこも無いのだが・・・。さらに、一般の観光客は迷わず「特急列車・伊那路」を利用する。実はこの秘境線には特急列車が日に何本も運行されているのだ。

 片道6時間となれば、景色の見える日没前に完乗して(夏期しか無理)東京へ帰ってこれるのは3本で、これは前日に豊橋に宿泊した場合。当日早朝に東京から新幹線を利用する条件で2本。青春18キップで在来線を乗り継いで接続可能なのはギリギリの1本だけとなるのだ。万が一数分でもダイヤが乱れたら、即アウトである危険性を含んだ路線でもあるのだ。
 つまり具体的に言うと、10:43発天竜峡行き519M(2008年夏ダイヤ)のみであり、これに接続するには、東海道本線の始発に乗り、2回乗り継いで豊橋着は10:41。乗り継ぎは2分しかなく、駅弁を買う時間すら無いのだ。飯田線の途中で一泊するという旅情ある旅もあるが、今回のテーマは最小限の旅費での日帰りなのだ。


 

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 前回の旅では不覚にも乗りそびれた東海道本線のグリーン車を今回こそは利用する予定であったが、なんと始発にはグリーン車の設定が無いのである。一本遅らせば熱海どまりがあったが、これだと飯田線の接続には間に合わない。しかし、始発の列車はグリーン席は無いものの、なんと静岡まで直通運転なのだ。豊橋まで3回の乗り継ぎが2回で済むのは精神的にも肉体的にもだいぶ違う。

 ところが、早朝の東京駅の東海道線ホームで目にしたのは、なんとJR東海373系特急列車だったのだ。これって
「ムーンライトながら」?と思ったが、まさに正解。昨晩大垣を出発して今朝東京に着いたムーンライトながらの間合い運転だったのだ。グリーン車料金が不要で特急シートで快適な出発が約束される。ホームの放送では、とまどう乗客のために「普通乗車券で乗れますよ」というアナウンスが流れていた。この列車は静岡に着いた後は、分割され、飯田線の特急「伊那路」や身延線の特急「ふじがわ」、さらに都市間の「ホームライナー」など、フルに間合い利用されるのだ。その為3両という短編成で設計され、グリーン車も設けられていない。
 
 3時に起き、4:33の始発列車に乗り、途中で地下鉄に乗り換え、東京駅に着くのは発車4分前の5:16。
猛ダッシュで、運動不足を痛感。なんとか間に合った。3両編成が3連結された9両編成で、ほぼ満席だったが、ホーム端の先頭車両は辛うじて空席があった。無事窓際をゲット、これで静岡までの長旅も一安心だ。
 5:20東京駅を出発。品川や川崎、横浜などはもうホームが人で溢れている。そしてこの列車にもかなり乗り込んで来た。車内はラッシュ時なみの混雑。早朝の始発で恐るべき首都圏であるが、大半は午前様の帰宅組か?酔っぱらいは床に座り込む始末。

 横浜を過ぎると徐々に乗客が降りていった。平塚をすぎるころには、ほとんど立ち客はいなくなった。小田原では6:45、沼津では7:36と朝の通勤通学の時間帯になってきたので、今度は静岡圏の乗客が乗り込んできた。特急車両とはいっても各駅停車である。
 席取りする際、海側か山側か迷ったあげく、富士山の見える山側を選んだものの、あいにくの雨模様で、富士山は霧の中にその姿を消していた。結果的に根府川から真鶴にかけての太平洋の風景の方がよかったのである。途中何度か眠りに落ちたものの、車窓の景色全てが新鮮であったために、興奮で大半は起きていた。というか、眠れなかったのだ。8:43静岡駅に到着した。

 続いて、東海道線8:49(743M)4両編成の211系に乗換え浜松に10:04着。2分の接続で、10:06発の(933M)311系4両編成に乗り込む。不安をよそに豊橋には定刻通り10:41に到着。これに接続する飯田線は2分後の10:43発(519M)で、さすがに1、2分の遅れが生じても待っていてくれる様子だった。
 しかし、車内は立ち客がいるほどの混雑ぶり満員御礼状態。ボックス席はすべて埋まっていた。

 真っ暗な時間帯に出発したものの、時計の針は10時を廻っている。人々が活発に動き出す時間だ。せめて運転席後ろの窓を占拠すべくダッシュ、写真を撮っている暇などないのである。大あわてで駆け込んで辛うじて最前列の3人掛けロングシートに座ることが出来た。意外にこの席の方が機動性は良い。まあ、5時間以上はつらいかもしれないが。
 誤算は、最前部が荷物室となっていた事だ。これでは、「渡らない橋」を正面から見ることが出来ないでは無いか。旅客車両の一部を荷物室とするのは、交通の不便な秘境区間だけではない、首都圏の通勤列車・近郊区間でもキヨスクの新聞配達などを請け負って、一部車両が荷物室と化している事もある。が、見る感じ、駅の車内便のようである。


 
 
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