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一路一会鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る飯田線の旅
   青春18キップで廻る         
 飯田線の旅      
 

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 飯田線は一番北よりの頭端式ホームで1、2番線がJR飯田線、3番線が名鉄(名古屋鉄道)という一風変わった配置になっている。豊橋を出た飯田線はしばらく複線である。しかし、これも単なる複線ではなく、名鉄との共同保有なのである。下りがJR東海の所有で、上りが名鉄(名古屋鉄道)の所有なのだ。これは飯田線がまだ私鉄だった愛知電鉄の頃に、豊川稲荷までの区間を両社でそれぞれ単線を建設し、共有して複線利用した経緯によるもの。
よって豊川までが複線だ。豊川は豊川稲荷の門前町だが、新幹線をやJR東海の主な車両を製造する日本車輌の工場があり、完成車両は飯田線経由で運び出されるのだ。豊川駅をすぎると、その引き込み線がある。

 東名自動車道の下をくぐり、長山駅のあたりまでは、都市近郊の風景が続くが、その先のあたりから川に山が迫り、田園風景が広がってくる。また駅もローカル線らしく素朴になってくる。無人駅も増えてきた。
  飯田街道の市場町として栄えた新城は、今も昔も険しい秘境への玄関口の町である。ここで平野部とお別れだ。線路も河岸段丘上の地形に沿って大きく蛇行しはじめ、大胆にも長篠城址のなかを突っ切っていき、長篠城駅。
  秋葉参道の宿場町として栄えた三河大野は少し開けて、町場があり銀行の支店もあった。風光明媚な谷間に温泉旅館が建ち並ぶ、その名も湯谷駅の先からは、一気に秘境ムードのレベルが上がる。民家もほとんど見なくなっていく。併走する国道も徐々に「酷道」に変わっていく。飯田線もトンネルが増えてくることから、いかに建設に苦労したであろう事が伺える。湯谷から路線上の終点である辰野までは147本ものトンネルがあるそうである。

 浦川駅で再び町が開け、列車交換の為に小休憩。中部天竜駅もまた大きな駅で、旧三信鉄道時代の本社があった場所らしい。現在も飯田線の車両基地があり、駅前にはJR東海の鉄道博物館・佐久間レールパークがある。中部天竜駅を発車すると、左手に佐久間発電所が見えてくる。飯田線はこの佐久間発電所の奥にある佐久間ダムをはじめとして、山岳地帯のダムや水力発電所建設にともなう資材輸送線として延伸された事が、全線電化された理由なのだ。飯田線の中では最長の峰トンネルを抜け、城西駅に到着すると、いよいよ飯田線の醍醐味である「渡らない
橋」こと第六水窪川橋梁・通称S字橋が現れるはずだ。渡らない橋といっても、崖崩れから線路を守るために、川の中に「高架」を作った感じで、言葉で言われるほど大したものではなかった。
 というよりも、最前部が荷物室として陣取られているため、橋の姿を運転席越しに見ることはできない。ゆえにS字がどうなのかの確認もできなかった。片側の窓から眺めていると、スバリ気がつかなかったのだ。
 水窪はかなり人口が多い町の様だ。コロニーのように緩やかな山の斜面までギッシリと集落が形成されている。

  飯田線の佐久間〜大嵐(おおぞれ)間は天竜川を大きく「コの字」に迂回している。これは国鉄時代の各地に見られた、地元政治家による「我田引鉄」によるものでは無く、本来は天竜川に沿って走っていたものの、佐久間ダムの建設によって水没するために付け替えられたのだ。哀愁漂う旧線の遺構が所々に残されている。
 大嵐駅はトンネル直前の駅で、線路はトンネル内で分岐している。大きく口を開けた漆黒の闇の中に、「四個」の光が見えた。これは今乗っている普通列車では無い。そして即悟った。特急列車だと。藪の中から大蛇が襲ってくるかのように特急「伊那路」は、大嵐駅を通過していった。

 平岡駅までは駅の周囲に民家が見られないような、不思議な存在の秘境駅が続く。小和田駅を過ぎるといよいよ長野県に入る。平岡は山間のオアシスのような町だ。天竜村の中心地で、かつては林産物の一大集積地として栄えたが遠い昔の話しである。この先平岡ダム・泰阜(やすおか)ダム及びそれらのダム湖が天竜川沿いに続く。各ダムには発電所があり、飯田線はその発電所の施設内を走っていくのである。ビジュアル的にもかなり迫力がある。

 そして、いよいよ天竜峡駅に到着する。豊橋から四時間の旅だった。14:06着。ここが飯田線のどまん中、三河側と信濃側の運行分岐点だ。今乗ってきた列車は、再び来た道を戻っていくのだ。
 天竜峡駅は名前のイメージと違ってペンションのような造りの駅舎だ。観光客の多さを物語っている。駅周辺は宿場町のような面影が残る。今度接続する岡谷行きの飯田線は14:38発。30ほどしか時間が無い。とにかく朝から何も食べていないし、再び二時間の乗車が待っているので、ここで腹になにか入れておきたい。



 
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 駅前商店街にある総合食料品店には、これと言ったものが何もなかった。もっとも僻地の「総合・・・店」は大抵そんなものなのだけど。幸いに駅前の真ん前に食堂を見つけた。まあ信州の秘境という事で蕎麦にするべきか悩んでみたが、別の客が食べていたラーメンが「非常に」旨そうだったので、大盛りラーメン700円のそれを注文してみた。学生街のようなボリューム。素朴でなつかしい味のラーメンだった。都会の(こだわり系)ラーメンとはまた違った旨さがあった。次ぎに来るときも、またこれを食べたいと真剣に思ったほどだ。

 14:38天竜峡発の飯田線はまったく同じ車両である。この天竜峡駅に着いた時から飯田方向の停車場に止まっていた。それが定刻になると、ゆっくりと動きだしホームに入線してきた。相も変わらず先頭部分は荷物室になっていた。かつては辰野が終点であったが、現在は岡谷が終点だ。しかしこの列車は上諏訪駅まで直通する 。この他に岡谷経由で松本まで行く「快速みすず」もある。
  天竜峡駅をでると、今までのような天竜川に沿った秘境の風景はすぐに終わり、伊那盆地にでる。中央アルプスと南アルプスに挟まれた地溝帯のような広大な盆地だ。しかし平野部かと思ったがそう簡単では無い。伊那盆地は複雑な河岸段丘や河川の谷が入り組む多種多様な一筋縄ではいかない地形であり、今の建設技術ではなんて事は無いのだが、当初天竜峡から辰野までこの路線を建設した旧伊那電気鉄道は小資本の会社であり、かつ当時の建設コストもあって、トンネルや橋梁は極力避けられ、低コストで線路が引かれたのだ。ゆえに、カーブや勾配が大きく地盤改良もされていない為、非常に運転技術を要する難関路線であり、飯田線が鉄道運転手にとって、ある種の腕試しの場所でもあるらしいのだ。

 飯田市街で大きくΩの字にカーブするのもそのためだ。始めは都市利用客の為に環状線的に線路を引いたのかと思ったが、大きく窪んだ飯田市街を直線で抜けると、高架や長大の橋梁建設が必要な為に、わざわざ谷にそって周回し、一番狭いところでようやく橋を渡り、再び谷にそって回り込んでいく方法が、この場所だけでなくこれから先も幾つもUの字のカーブが続くのである。川から離れた段丘上を走っているのに、高等線の地形に忠実トレースしながら、うねりうねり進むのである。今なら線路の付け替えや直線化は不可能では無いはずだが、単線のローカル線であるがゆえと、完全に沿線の生活に溶け込んでいる為であろうか、改良の声は聞かない。飯田市の前後から学生の乗り降りが多くなる。学区を越えるたびに別の制服やジャージの学生が乗り降りしていく。車内の喧騒はずっと続いた。乗降客は多そうだ。飯田線の蛇行は七久保駅付近まで続き、伊那本郷のUの字カーブでクライマックスを迎える。ここから先は比較的ゆるやかになっていく。
 
  伊那市まで来れば、もう序盤である。伊那松島の機関区や、中央本線と接続する辰野など、大きな駅が続く。
日は落ち、風景がブルーに染まってくる。やがて列車は17:30着岡谷へと到着した。本来の岡谷止まりは、1番線の小さな頭端式ホームに入るが、この列車は上諏訪駅直通の為、私を降ろして走り去っていった。わざわざこの駅で降りたのは、本来の岡谷止まりである飯田線のホームを律儀に撮影する為であった。

  目的を達したら、あとは列車を待つだけである。駅には駅弁が置いていなかった。駅前にもコンビニの類はなさそうだ。しかたなく駅売店でつまみとビール、カップ酒を買い込む。
 17:48に松本からやってくるはずだった中央本線(446M)甲府行きは時間になっても来なかった。どうやら大月付近で貨物列車の故障が発生しダイヤが乱れ、特急の運休も出ている模様だ。(446M)?かどうかは確認しなかったが、甲府行きの113系3両編成が、定刻を遅れた18:00にやってきた。案の定車内は満員だった。最初は立っていたが、諏訪駅でいくらか降りていった為に、辛うじて進行方向とは逆向きだが席に座ることができた。 
  雨が降り出して来た。窓の外は徐々に霧に包まれてくる。旅のラストにやってきた幻想的な景色を肴にビールをすすりはじめた。この列車は甲府まで行くが、私は途中の小淵沢で降りる事にした。なぜかと言えば、甲府駅で接続する列車は甲府駅始発では無く、小淵沢発の列車だからだ。多くの乗客がこの情報を知らない事を祈った。
 案の定、小淵沢では一部の乗客しか降りなかった。しかもその大半は駅を降りず、そのままホームにいた。
 小淵沢駅では、まばらに乗客がいる程度にかかわらず、ホームの駅弁売り場が開いており、しかも充実した品揃えであった。まさか弁当にありつけるとは思っていなかっただけに、結構岡谷駅で買い込んだスナック菓子とビールでお腹は膨れていたものの、思わず牛肉の「旨い甲斐弁当」を買ってしまった。まあ、カップ酒が残っているので、これで晩酌を、いつごろするか。さきほどまで無かった霧が駅を包みはじめた。最高の演出である。
 
  小淵沢発の(354M)は18:49で、本来なら30分ほど待つはめになるのだが、先ほどのダイヤの遅れの為に、待ち時間は僅かであった。雨まじりの霧の中をスカ色の113系3両編成が入線してきた。
 この列車が大月に着くのは20:27。そして接続するのは20:49(2106M)新宿行き。おそらく中央線快速E233系だろう。しかし、20:49発新宿直行の列車は運休となり、なんと高尾止まりの(564M)20:56発まで待つはめに。ああ、また115系か・・・。
 暫くして時刻表には無い「特急かいじ124号」が入線してきた。これに乗ろうか迷っている内に列車は走り去ってしまう。

 その後高尾についたのは21:37。ホームはかなりの人で溢れていた。最後の最後で立ち乗車かと、肩を落としたものの、やってきたのは中央線快速E233系(各駅運転だが)10両編成。おお、余裕の10両だ。
 ああ、東京だ。近代的で無機質な車内が、我が家のようなあたたかさを感じた

 
 
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