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   青春18キップで廻る 
  山陰山陽じぐざぐ鉄道の旅
 
 
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山陰山陽3日目の朝はそれほど早くなかった。三次発・芸備線の備後落合行きは6:36である。6時過ぎに駅前の宿を出たが三次の早朝はそれほど寒くはなかった。
芸備線・備後落合行きは2番線からの出発だがその姿はまだ無い。出発の10分ほど前になって引き込み線から動き出し、折り返してホームにやってきた。静かな駅構内にディーゼルのアイドリング音が響き、軽油臭が漂う。

車両はキハ120系326の1両編成。この(350D)は定刻通り三次駅を出発し、軽快に走っていく。まだあたりは真っ暗で気がつかなかったが塩町駅のあたりから少し空が明るくなり始めてくると、どうやら少し霧がでているようだ。冬の中国山地は豪雪地帯と思った、ものの雪がほとんど無く拍子抜けしたが、少しは幻想的な雰囲気に満足。
旅は非日常である。「どこへ行こうとも自己を忘れることはできない」とはいうが、こういう演出は必要だ。
この芸備線にも当初2面だったホームの片側が廃止された遺構が多く見られた。線路は撤去されたものの、直線でのスルーでは無く駅の部分でくにゃりと曲がっている。Y字分岐の片側を撤去したからこうなる。もともと停車駅であるし高速で通過する優等列車も無いわけだからこれでいいのだろう。

今朝、気温の高さを感じたのは体が慣れただけでは無いようだ。車窓から見える田畑には霜も降りていない。
備後庄原あたりにくると時間は7:00をすぎてだいぶ明るい。山々に囲まれた盆地ゆえに太陽を見ることはないが、中国自動車道をくぐるといよいよ山岳線のはじまりだ。徐々に勾配が上がってくると田畑にも霜が見え始め、やがて雪で白く覆われ始める。西条川に沿って列車は山の中へと分け入っていく。盆地の平野部を軽快に走っていた列車も次第に25キロ規制、そして15キロ規制とのろのろ運転に変わっていく。

思えば併走する国道183号線も過去の旅で何度か通った覚えがある。運転席の横から今走っている線路を眺めると、なるほど極めて低規格の線路だ。レールの表面が白く光っている事で現役であることが分かるものの、それ以外は廃線跡といっても過言でないレベル。雑草が生い茂り、枕木は砂利の中に埋もれている。ある意味、遺跡のように自然に溶け込んだ人工物である。




早朝に三次駅を出発した始発列車にもかかわらず、庄原のあたりからは意外な乗車率だったものの、備後西城で最後の女子学生が降車した跡は、私一人になってしまった。そして運転手と2人きりの列車は終点の備後落合に到着した。時刻は8時ちょっと前である。

この山間の秘境駅で、次ぎに乗る木次線には1時間30分近く待たなくてはならない。ホームの列車風景は今回の旅の初日にさんざん撮影したので、今日はとりあえず駅を出て閑散とした駅前集落を歩くことにした。駅には自動販売機は無かったが、少し歩いた国道沿いに販売機を発見。朝のホットの缶コーヒーを買ってひとまず駅に戻り、冷えた体を温めると共に朝食を摂った。

再び駅前の集落の散策を始める。西城川の支流、小島原川に架かる橋のふもとにはかつて塩や煙草の専売権を有した商家があり。店頭を兼ねた縁側には往時を偲ばせるガラスショーウィンドウがあった。集落といってもそれ以外に民家は2から3軒であり、人が住んでいるのかも分からない。駅前にはバス停もタクシー案内もなかった。
そんな僻地でも、自動販売機は稼働し、定期的に入替にくるのだろうと感心してみたりした。

で、まだ30分しか経っていない。駅の待合所で朝食を摂って、ぶらぶら写真を撮ろうと思うも、駅舎そのものはそれほど趣のあるものでも無い。しばらくしてどこからか若者が現れた。旅館に送ってもらったのか、タクシーなのか。ただ分かるのは地元の人間では無さそうだ。そしてあきらかに(鉄)っぽかった。なにせカメラも持っているし。
 
Page1■ 芸備線で備後落合へ
page2■ 木次線はローカル線の聖地だった
Page3■ 山陰本線で下関・九州をめざす
Page4■ 長い長い山陰本線・下関はまだ先
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