一路一会>鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・山陰山陽じぐざぐ鉄道の旅(3)
   青春18キップで廻る   
  山陰山陽じぐざぐ鉄道の旅  
 

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快速列車は高速化の為に投入された新型列車らしく、軽快に加速して乗り心地も良いのだが、さすがに益田まで立ちっぱなしはアルコールの影響もあってかヘロヘロになっていた。列車は益田駅の1番線に到着した。
益田駅は昨日一度来ており、乗換前に夕食用にと絶品のさば寿司を買おうとしたが、残念ながらの売り切れ。まあ遅い昼飯でもあったので本日の終点の小倉まで我慢する事にする。

次の列車は益田駅3番線から出発する下関行き、数少ない下関直通列車だ。大半はこの先で2回乗換を求められるのだ。やってきた列車は(1579D)キハ47系2000番台2両セミクロス。1両目はクロスシートの比率が少なくほとんどがロングシートの「ハイブリッド仕様車(勝手に)」だった。黄色と白のJR西日本ローカル線カラーは良い色だと思う。

最近はどんどん地方路線からクロスシートが消えつつある。通勤通学時における混雑に不利であり、乗客のマナーの悪さなども耳にするが、着座率の低さもあるのだろう。対面4人掛けで見知らぬ他人との相席はなかなか抵抗があり、実際混雑している車内で一人での独占状態も珍しくない。

しかし、最近ローカル線を乗り継いで、クロスシートよりもロングシートの方が楽である事も分かった。左右の風景を見るのに移動が楽であること。もちろん閑散としている事が条件である。満員でまっすぐ座る場合はそのかぎりでは無い。さらに列車の揺れに対して横に揺れるよりも、前後の揺れる方が長旅では体への負担が少ない事にも気づいたのだ。
     

先ほどの新型列車にくらべてこのキハ47は相当に古い車両であるものの、一応「幹線」である山陰本線のレールの規格が高いせいなのか。エンジンや足まわりがグレードアップされているのか、軽快に加速し乗り心地も良いのである。どっしりとした安定感がある。

日はだんだんと落ちていく。幻想的な日本海の車窓にギリギリまで食らいつく。幸いにも益田から先は比較的海岸線ギリギリの所を走る。風光明媚な岩礁や入り江が続く。江崎駅で列車交換。江崎は風光明媚な港町がある。
奈古駅付近で完全な日没となる。東萩駅で列車交換。この東萩駅は駅ビルがあり、城下町萩市の玄関口である。次の萩駅は立派な洋風木造駅舎であるが、駅周辺には何もない。おそらく長門地域で最も大きな都市であろうに、この閑散ぶりに、この路線の寒く厳しい現状を見せつけられた気がした。

さて道のりはまだまだ長い。萩から長門までの区間は美祢線の延長で造られたのだが、その美祢線との分岐駅である長門市駅。ここからは千崎までは2.2キロの支線がある。

それにしても真っ暗である。沿線にはほとんど灯りを見ることがない。本州西端部では海と別れて内陸部を下関まで南下していく。通過駅と地図とを照らし合わして、今自分がどこにいるか分かるが、そろそろ苦痛にもなってきた。小串あたりで海が見えそうだが見えるわけもない。下関市近郊の安岡駅で列車交換。益田から下関まで区間での列車交換は、夕方であるにもかかわらず3回しかなかった。

そして、なんとか列車は下関の7番線に到着して、約7時間に及ぶ山陰縦断の長旅は終わった。

あとは、小倉まで2駅。本州から九州へ渡る意味である種の興奮を覚える。地下連絡通路で鹿児島本線の待つ8番線ホームへ移動する。最後の車両(5581M)行橋行きは415系100番台の4両編成。
下関は高架駅である。しかしこの先、関門海峡を潜るために地中へ入っていくのだが、どのあたりから地中に潜るのかと思っているうちに、勾配も感じないままあっという間にトンネルに入っていった。
関門トンネルは山陽本線の延長として建設され籍もそちらにあるが、管理はJR九州となっているらしい。

車だと関門大橋を渡るために、「東洋一の夜景」と呼ばれる下関や門司港の灯りを眼下に、本土と九州の境界を感じて感慨深いものを得るのだが、関門トンネルはそれが無いばかりか、短くあっという間に小倉へと到着してしまった。


     
 
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