一路一会>鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・九州鉄道の旅(1) | ||||||||||||
青春18キップパスで廻る 九州ぐるり鉄道の旅 |
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九州入り初日の朝は小倉駅前の繁華街の中にあるカプセルホテルで目覚めた。余裕をもって早起きし、朝風呂に浸かってから20kg以上にもなる荷物を背負って駅へ向かう。 |
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田川後藤寺駅で運転手交替。日田彦山線の運行分岐駅である。次の池尻までは平野部が続いたが、徐々に勾配がつきはじめ期待が高まる。目の前に待ち受ける山塊。かつて数多くの貨物支線が分岐していた豊前川崎駅。 西添田駅を経て添田駅で列車交換。この路線が戦時中に国によって延伸される以前は西添田駅が「添田駅」だったとか。一方この添田駅はかつて「彦山口駅」であった。この駅でJR九州が開発した新型車両・真黄色のキハ125系と遭遇。単両のワンマン車両で「レールバス」に近い。昨日まで山陰・山陽のローカル線で嫌と言うほど乗り続けてきた新潟トランシス製がベースのキハ120系の兄弟でJR九州バージョンだ。各地で「レールバス」の異名で呼ばれるシリーズであるが、JR九州のキハ125系は車体が他の同系列車に比べて長く、重厚なデザインに斬新なカラーリングでレールバスと呼ぶには一線を引いている感じがする。 歓遊舎ひこさん駅は英彦山への玄関口っぽい名の駅だが、真新しいコンクリート1面の質素な駅。参詣の玄関口には見えない。2008年に地域振興プロジェクトによって新設された駅で、自動車の「道の駅」を併設している。 次の彦山駅が昔からの英彦山の玄関口であった。 英彦山(ひこさん)は、福岡県と大分県またがる標高1,200mの霊山で、山形県の羽黒山・奈良県の熊野大峰山 (とともに「日本三大修験山」に数えられ、今も宿坊を始め往時をしのぶ史跡が残されている。かつては山伏の修験道場として古くから武術にも力を入れ、最盛期には数千名の僧兵を擁していた。現在は英彦山神宮・通称彦山権現とも呼ばれるが、明治の神仏分離により修験道が廃止され、天台山伏の本山であった霊山寺を分離して英彦山神社となった。 次の筑前岩屋駅はなかなか立派な駅舎であるが、どうやら消防団の倉庫を兼ねて建てられたもので無人駅であるらしい。それでも駅舎すらない「停車場」よりはずっといい。 ここから先はいいよ利用客が少ない山岳ローカル線となるが、次の大行司駅が唯一の列車交換駅である。 棚田が勾配のある地形を物語りやがて棚田の向きが変わり、分水嶺を越えた事がわかる。 大行寺駅は高台にあり、眼下に町場が形成されている。ここまで登ってくるのが大変そうだ。平野部に向けて扇状に平野が広がっていくのが分かる。宝珠山、大鶴、今山を経ていよいよ久大本線に合流して夜明駅。 線路の規格が良くなったのか、あいからわずのS字カーブが連続するが、それでも列車は時速70キロ。直線部では90キロで軽快に駆け抜ける。気持ちがいい。夜明駅はなかなか狙ったような今風の駅名だが、地名から名付けられたものである。古くは焼畑開墾地であることから「夜焼」と書かれていたが、後に「夜明」に改名された。 光岡は難読駅名で「てるおか」と呼ぶ。そしていよいよ終点の日田に到着。2番線ホームに入っていく。1番線ホームにはJR九州の新型気動車キハ200系が停まっていた。真っ赤なボディーが斬新かつ新鮮に感じる。 |
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