一路一会鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・九州鉄道の旅(1)
   青春18キップパスで廻る   
  九州ぐるり鉄道の旅  
 
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昨日は島根県の宍道駅から下関まで山陰本線の鈍行列車を延々乗り継いでかなり体に堪えたが、今日も大分から宮崎まで九州の東海岸を日豊本線で延々下るのである。

日豊本線まだ昔からの平屋2番線ホーム。ホームには結構な人だかりが出来ていた。待つことしばらく佐伯行き
(4643M)が入線してきたワンマン2両編成の新型814系20番台。これも度肝を抜くデザインで、ドーンデザイン研究所の「作品」である。JR九州はインダストリアルデザイナー水戸岡鋭治氏率いるドーンデザイン研究所の作品のオンパレードだ。同氏はJR九州のデザインを一手に引き受け、特急車両に限らず通勤列車なども幅広く手がけ、JR九州のイメージアップに著しい貢献をしている。

この車両はそれに加えてJRでは初の日立製作所のA-trainシステムを用いて製造された車両である。最近は首都圏の私鉄でも少しずつ目にし始めた「A-train」ステムとは、建築で言うところの柱や梁を組み上げ、壁を取り付けていくのでは無く、いわばプレハブやユニットバスのようにモジュール化してかつ自動車のようにオートメーションで合理的に「組み立て」ていく製法で、アルミニウム合金を主材料に用いているのが特徴。「A-train」のAはアルミニウムの意味も込められている。

と、すっかり感心していたが、なんとこの列車は、オールロングシートではないか。さらに車内は首都圏なみの満員御礼のすし詰め状態。いきなりげんなりである。

気を静めて車内を観察すると、これまた奇抜を通り越してぶっちぎれたデザインだ。特に内装はまるで遊園地。テーマパークのアトラクションを思わせる土派手さ。と合理性。化粧板を廃したJR東日本の通勤車両で、川崎重工が用いたFRPなどによる内装仕上げのさらに上を行く。外装と一体となったアルミ合金むき出しに、「A-train」なるものを実感させられたのだ。

大分駅を出発してふと、今さらながら気がついたが。日豊本線は全線電化されているのだ。どうりで時刻表で知った小倉〜宮崎直通の特急列車がみな電車なわけだ。
さすがに本線らしく、単線だが、電車の加速で時速100キロで豪快に駆け抜けていく。

九州東海岸の背骨である日豊本線は小倉と鹿児島間462.6kmを結ぶ九州縦貫線で駅数はぞろ目の111駅。
日豊本線は当初北部は私鉄の豊州鉄道の手で開業。鹿児島エリアは国によって建設が始まったものの、その後は長年放置され続けていた。業を煮やした宮崎県は自前で宮崎県営鉄道を設立して建設を始める。その後ようやくすべてを国有化して建設が進められ九州を縦貫する1本の「本線」となったのだ。

幸崎で特急にちりんを待つ為に5分の停車。関アジ・関サバで知られる佐賀関半島の付け根の駅。
この駅を出ると山岳路線に入っていく。急峻な山道をディーゼル列車ほどでは無いにしても、モーターを唸らりっぱなしで駆け上る。半島を横断すると県下有数の史跡や遺跡が残る観光都市の臼杵。大友宗麟に始まり、江戸期は稲葉氏のもとで発展した5万石の城下町である。車では日豊本線の橋梁を潜って町に入っていたが、今回は見はらしの良い高台を走りながらのアプローチである。停車時間は短く、臼杵を出ると複雑に入り組んだリアス式の海岸線を縫うように走る。かつては陸の孤島も多かったが、道路や鉄道の整備によってそれらは解消されつつある。
それでも、途中の小さな無人駅の多くは集落からかなり離れた高台に位置している。
そして終点の佐伯に到着した。ここで乗換である。佐伯も2万石の城下町。戦前は軍都であった為に米軍の空爆によって焦土と化し、城下町を偲ばせる町並みは殆ど残されていなかった。



 
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さて、ここで問題にぶち当たる。佐伯から延岡までを結ぶ普通列車はほとんど無い。この佐伯が大分県南端の都市であり、県を越えての人の移動はほとんど無い事のである。かろうじて運行されている延岡行きの普通列車は2時間先である。さらにその先の接続も壊滅的。現在の時刻は14:50を既に廻っている。本日の宿泊予定地である油津まで辿り着くのは物理的に不可能である。

ただし、数分後にやってくる特急「にちりん」に乗れば別である。終点の宮崎まで乗れば快適でかつ、宿へも予定より(わずか)だが早く着くことができるが、「18キップ」の旅という事以前に費用の面で、最小限の延岡までを買うことにした。

15:08発の特急「にちりん15号」(5015M)がやってくる。ステンレス車体の新型783系車両を期待したが、残念ながらやってきたのは古い国鉄485系「レッドエクスプレス」。名前の通り、JR九州らしい真っ赤なボディーでリゾート気分を高めてくれる。ただし、塗装以外には内外装共に大幅なリフォームは行われてはいない。おまけに、車内はかなり混み合っている状態。とても窓側席を臨める状態ではなく、大きな荷物を抱え、最後尾の座席に相席をねがった。閑散路線だと思ったが意外な乗車率である。時間的に低い太陽からの日差しが眩しいために、ほとんどの窓のカーテンが閉め切られている。折角特急料金(運賃も別)を奮発したのに、この閉塞感の中で1時間は絶望に近い。仕方がないので、缶ビールを飲んで寝てしまった。場合によっては車掌の巡回の再にキップを延長しようかとも思ったが、延岡までで正解だった。

佐伯を出ると、豊後国と日向国の間には険しい山塊が行く先を阻んでいる。古くから「宗太郎越え」として知られる難所である。実際の日向街道(豊後街道)の宗太郎越えは少し東側の山の中を走る旧道がそれだが、国道も鉄道も「宗太郎越え」の名を用いさせてもらっている。それでも九州山地のエッジが海に落ち込んでいる海岸線では無く、道路も線路も内陸の山岳部を越えるルートを選んだ。それほど両地域の隔たりは大きいのである。

しかし、今の状況では車窓から往時の苦労を偲ぶこともできず、アルコールにゆだねた浅い眠りの中にある。

そして列車は延岡駅の1番線に到着した。跨線橋から宗太郎越えの山塊を眺めるも、今自分が宮崎県にいるという実感が今ひとつ湧かない。かつてはこの延岡から西へ向けて高千穂鉄道が走っていたが、慢性的な赤字に悩まされていたところに、台風によって橋梁が破壊されて復興を断念。惜しまれる声のなか廃線となってしまった。

 

 
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さあ、ここから宮崎までもまだまだ長い旅が残っている。やってくる普通列車がロングシートかボックスシートか運命の分かれるところである。ちなみに今日の旅は宮崎で終わりではない。そこから日南線でさらに大隅半島を南下して、小さな城下町飫肥の外港として栄えた油津まで下らなくてはならないのだ。

やってきた16:18延岡発ー宮崎空港行きの普通列車(745M)は、これまた真っ赤に染められ黄色でロゴをあしらわれた「サンシャイン」712系900番台、2両ワンマン車両だ。旧車を改造しているが、特筆するのはなんと、ロングシートはおろか、セミクロスシートでも転換シートでもなく、なんと特急列車と同じリクライニングシートではないですか。延岡で乗り換えて大正解!

車体は普通列車だが、内装に関していえば、今乗ってきたダメダメ特急「にちりん」と同じ黒ベース。シートピッチと窓の配置がずれているのはこの際愛嬌として受け入れよう。良い席に座ればいいだけの事だから。
なんという幸運であるか。

しかし、冷静になって車内を見渡してみると、なんとまあ、これまた大坂人もビックリのぶっちぎれた土派手さ
で、内装は赤、青、緑の3パターンだ。サンリオがプロデュースしたのかと思われるキレっぷりだがこれもドーン研?。

車内は自分以外に数人しか乗っていなかったが、延岡を出発して、次の南延岡で学生がどっと乗り込んできた。
車内は一気に賑やかになったが、おそらく日向市までの間で降りていくだろう。そして実際そのとおりであり、日向市は高架の近代駅な駅舎に生まれ変わっていておどろいた。

南日向で特急と交換の為に3分待ち。九州は南国だからなのか、手動開閉ボタンは無い。東京ですら増えているのに。雪も降るし寒いのだが。そして国鉄色のままのL特急がすれ違う。

日向市を出ると少し胸が踊り始める。古い町並み探訪家にとっては宮崎県下で最大の「聖地」美々津を通るのだ。
といっても日豊本線は美々津の町を遠く迂回して走るために車窓から見ることはできない。美々津は海運・水運で栄えた町だったが、それらを奪う陸路・鉄道の整備にたいしての忌避があったのだ。しかし、無情にも時代はスピードを緩めることなく進み、町の発展は止まってしまった。ゆえに美々津には古い家並みが残されることとなったのだが・・・。耳川の鉄橋から河口を眺めて過去の記憶に浸っていると、美々津駅に到着。町から離れた美々津駅は3面のホームをもっていた。

ここから宮崎までは、地図を見ていると延々海沿いを走っているようだが、実際には海岸線まで距離がありほとんど見ることはできない。おまけに太陽の姿は完全に水平線の向こうに落ちており、天空へのバウンス光によってかろうじて視界が得られているものの、あと30分ほどで闇に沈んでいくだろう。

やがて左手にリニアモーターカー実験線の遺構があらわれる。20世紀の遺跡だ。コンクリート高架の状態も悪そうにないし、ひたすら高規格で直線なので、日豊本線の新線として有効活用できないものか。都濃駅まで海岸側は田畑だけで、民家はまるでない。海は時折ちらちら、じらすように現れる。
佐土原あたりで日が完全に沈んだ。佐土原は小城下町で宿場町だった町だ。
このあたりが、宮崎県の県都宮崎市のエッジであり、近郊市街の風景が徐々に始まる。それにあわせて停まる駅、停まる駅で乗り降りする乗客の数が多くなり、やがて車内は夕方のラッシュになっていた。

車内もピークに達し始めたころ、列車は宮崎駅の4番線ホームに到着した。宮崎駅も高架化されていた。が乗降客が少ないのか自動改札化はされておらず、また1・2番線と3・4番線で改札が対面に設けられている不思議な感じだ。乗換の際には2回改札を通らなければならないのか?なお、宮崎県内には自動改札機のある駅が存在しないらしい。

 
 
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さて、本日ラストの日南線はまだ電化されておらず(今後もないだろう)、まだ新型の気動車も投入されてはいないようだ。ホームには旧国鉄色のキハ47系の姿があった。

九州南端に大きく着き出した2つの半島の片側、大隅半島を走る日南線は南宮崎を起点に終点の志布志までの
88.9kmを走る行き止まり路線で駅数は28駅ある。
大正時代に敷設された宮崎県営鉄道及び宮崎軽便鉄道の線路を国有化した際に、改軌・規格統一して誕生。当初は志布志から先、大隅線が接続して半島を一周するはずだったが、その夢は日の目をみること無く終わり、途中まで延伸していた大隅線もすべて廃線となってしまった。

18:51宮崎発ー志布志行き(1951D)はキハ47系9000番台、ワンマン2両編成。サイケデリック化はまだ行われてはいない。
宮崎駅を出発、本庄川に架かる鉄橋を渡ると高架は終わる。南宮崎駅で空港線の回送列車と列車交換。先ほど乗ってきた赤い「サンシャイン」だ。
田吉駅で列車交換。漆黒の闇夜・右手に宮崎空港の灯り。ジェット機の姿も見える。
木花駅・伊比井で列車交換、長いトンネルを抜けて小さな城下町飫肥で列車交換。日南市の中心部である日南駅の先の油津が本日の目的地。駅周辺は日南駅より発展しているが、合併前はこの油津がこの地域の中心地であった。

 
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Page3■ 日豊本線でひたすら南下・宮崎へ
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