一路一会鉄道の旅・鉄路一会>土日キップで廻る甲信越と羽前
   土日キップで廻る   
  甲信越と羽前の旅 
 
 中央線にゆられ、東京駅には早朝の5:40くらいに着いた。こんな時間に東京駅にいるのは、現在の生活ではまずありえない。思い出せば、学生時代に終電に乗り遅れて東京駅の表で一晩明かした時以来だ。さすが東洋一のターミナル。早朝でも人は多い。おそらくは上越・北陸方面へのスキー客が大半だ。

 山形県の新庄行き山形新幹線400系つばさ101号は6:28発。まだ1時間近くある。ぼーっとしているが寝るわけにはいかないし、だいぶハイにもなっているのでテンションは比較的高い。
 この時間の東京駅の売店街もさすがに大半がシャッターが降りたまま。数少ない弁当店だけは空いており盛況だった。東京駅発の最も早い始発の新幹線(JR東日本)は6:00発のこまち1号。それ以降も、次々と入線しては乗客を乗せて、東北や新潟、長野方面へ出発していく新幹線たち。丸の内はまだ眠っている。

  ホームや駅舎内をぶらぶらして時間を潰し、ホットコーヒーを買って、つばさに乗り込んだ。定刻通りに出発するつばさ。見慣れた丸の内の風景、神田を過ぎて秋葉原の手間で地下へと潜っていく。かつての終着駅であった上野駅を過ぎて、日暮里の先から再び地上に出る。あたりはまだ薄暗い。大宮にさしかかるあたりで日が差し始め
た。夜を通してきた目には眩しすぎる。

  さすがは新幹線である。昨日から今朝にかけて揺られてきた「ムーンライトえちご」とは乗り心地が別次元である。あまりの快適さにウトウトとしてきた。しかし、首都近郊を過ぎて列車が本格的な加速を始め、200km/hに達すると、先ほど述べた褒めは全て返上しないといけない。やはり在来線特急に毛が生えたようなミニ規格新幹線である。車両限界が低いのか、揺れる揺れる、震動も激しい。思わず目が覚めてしまったが、なれるといつのまにか眠りについていた。
福島にさしかかる手前で目が覚めると、目の前には雄大な安達太良連峰が姿をあらわす。東京から再び遠く離れた地へ来た事を実感する。

 福島駅を出発すると、東北新幹線の高架から左に反れ、ゆっくりとスロープを下りながら、福島駅の1階から発車する奥羽本線と合流する。奥羽本線は山形新幹線の終点駅である新庄までの区間の線路は標準軌に改良されたている。その為在来ローカル線も標準軌になっている。
奥羽本線ではつばさも、コットンコットンと低速で走っていく。低速とはいっても100km/hは出ているのだが。
 さすがにこの速度になると、再びハイレベルな快適さが戻ってきた。
秘境ともいえる、雪の山岳地帯を線路に積もった雪を巻き上げながら新幹線は、豪快かつ静かに連続するカーブを登っていく。窓の外の厳しい自然の世界を、あたかも大画面モニターで鑑賞しているかのような錯覚を受けるほどに、内と外の空間に同一性はない。

  庭坂駅をすぎると、地形に沿いながら33‰の勾配で峠をめざす。山形新幹線の改修に合わせ一部はルート変更が行われたが、強力な機関車が重連で登った時代と大きくは変わらない。板谷駅からは、各駅が飛行場の格納庫の様なスノーセットに駅全体が覆われており、一部スイッチバックの遺構も残されている。豪雪地帯にある秘密基地の様相に目を奪われたが、新幹線は停車する事なく通過していった。

 その名もズバリ「峠駅」を過ぎると、今度は山形平野まで33‰で下っていく。峠駅にはスイッチバック線がスノーセットに覆われて斜めに突き出していた。カッコイイ。勾配がゆるやかになると、線路沿いにはポツポツと民家が増えてきた。やがて踏切も見え出すと米沢駅はもう近い。米沢駅はでローカル線の中では根強い人気を誇る米坂線と、奥羽本線在来線との乗換駅でもある。
 雪深い峠越えでダイヤが少し乱れたようだが、平野部でも吹雪で遅れがでているようだ。
奥羽本線は新幹線が走るが、単線である。ゆえに新幹線も列車交換が頻繁にある。だから回復運転は出来る状況にない。すでに10分近く遅れている。接続する陸羽西線に乗り遅れると、今日一日の旅程が大きく狂う。
朝から不安にかられる。
 
7

 「つばさ101号」は定刻を15分ほど遅れて終点の新庄に到着した。しかし、陸羽西線はちゃんと待っていてくれた。10:04発の陸羽西線・酒田行きは出発を30分ほど遅らした10:40発である。東京から新幹線が運んでくる乗客を乗せないと、空気を運ぶ事になるからか?しかし、それにしては乗客はまばらだった。

 陸羽西線は最上川に沿って走り、その距離は奥羽本線新庄から羽越本線余目までの43.0キロ。駅数はわずか八つの短い路線で「奥の細道 最上川ライン」の愛称もある。ちなみに陸羽東線は同じく新庄から小牛田まで94.1キロ。いくつも山を越え、沿線には温泉地も多く駅数も27を数える。「奥の細道 湯けむりライン」の愛称をもっいる。
日本海有数の港町、酒田は羽越本線が建設されるより先に、この陸羽西線によって東京と線路で繋がった。当初は酒田線と呼ばれていたが、羽越本線の全通にともない、酒田ー余目間が羽越本線に編入され、酒田線は陸羽東線と改称された。

 松尾芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」の句にあるように、最上川は山形県内の全ての河川が流れ込む、日本三大急流のひとつである。(他は山梨・静岡県の富士川と熊本県の球磨川)全線を通して平野部なので風景に大きな変化は無いが、雄大な最上川と絡み合いながら進むので退屈はしない。
 平野部であるものの、三大急流の最上川が相手なので、橋梁やトンネルが続く路線の建設には、急流と増水でかなり難航したらしい。
 併走する国道47号は車で何度も通った道で、古口駅手前の最上川沿に面した国道沿いに建つ「道の駅とざわ」
は、そのつど車中泊で利用しており、朝起きて目の前に広がる最上川と壮大な風景に感動した記憶が、なつかしさと共に込み上げてきた。 


 
 
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