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   青春18キップで廻る 
  山陰山陽じぐざぐ鉄道の旅
 
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昨年から本格的に「鉄道」に開眼してしまった身に訪れたのは、当然とでも言うべきか「全線乗り潰し」の野望であった。もっとも、都市近郊路線に関しては今のところ乗り潰す気はさらさら無いので、あくまで地方路線・ローカル線に限っての話である。フリーキップで乗り潰しが容易であった関東・東北。そして今年の夏に初デビューの「青春18キップ」で、東海・北陸圏と一部近畿圏を巡った身としては、いよいよ山陰・山陽そして九州・四国への野望の芽が出てきたのだが、何分休みと費用の問題で先延ばしされていた。

ところが転機が訪れた。訪れてしまったという方が正解かもしれない。なんと今年の年末年始は過去に例のない大連休となり、かつ「青春18キップ」の期間にも重なる季節というタイミングによって、強欲にも山陰・山陽だけに終わらず、九州・四国をも含めた壮大で無謀な計画へと拡大していく事となる。強行軍ではあるものの、先にも言ったが「完全乗り潰し」は考えていない。あくまでも、山間もしくは海沿いの「車窓が良く」旅情を味わう事ができるローカル色の強い路線に限定して抜粋していくと、必ずしも無謀ではない実像が見えてくる。おのずと電化路線は最小限やむおえない程度にとどめ、全体の9割ちかくは気動車による閑散路線になるだろう。

もちろん、今回の旅では「18キップ」を使うものの、出発から帰宅までひたすら鈍行を乗り継いで行くような事はしない。費用の問題よりも時間の無駄だからである。中国エリアの入口までは、新幹線などを利用し、また現地でも特急列車や優等列車の活用を惜しむ気はないのだ。ただ、効率は上がるものの、連日ひたすらに1日中列車に乗り続けることにはなり、ぶらり途中下車などの旅情はほとんどあり得なくなってしまう懸念はある。驚異的に本数の少ない超閑散路線でそんなことをやったら、1日1路線になってしまう現実もある。

完全に鉄道に浸かりきった旅ならば、現地入りのインとアウトも旅情ある鉄道にするのがベストである。さらに時間を最大限有効に活用するならば、「夜行列車」さらには「寝台列車」が最適で当然の選択となる。近年、多くの路線で寝台列車の廃止が始まったが、以前から一度は乗りたいと思っていた異色の寝台列車「サンライズ出雲・瀬戸」に乗るチャンスが訪れたのである。旅程が読めないものの、サンライズ出雲で山陰に入り、ラストは四国から「サンライズ瀬戸」で東京へもどる。なんてスバラシイ旅の演出であるか。

しかし、その夢はもろくも崩れ去ってしまった。1ヶ月をわずか数日切ってしまっただけなのに、キップが完売していたのだ。考えが甘かった点を反省するも、かなり焦ってしまった。早朝現地入りする前提ですでに旅程を組み上げていたため、初日の朝に始発の新幹線で現地入りしても成立せず、かつ前日に現地入りしてホテルに泊まる予算は無い。結局、今回旅情の一部は割愛して、「高速バス」を使用する事を泣く泣く決意した。ところが、最終兵器であるこの「高速バス」すら取れないのである。キャンセル待ちなどリスクの高いことは眼中に無く、必至で探してなんとか「東京ー岡山行き」の一席を確保する事ができた。運良く3列リクライニングシートで、しかも窓側の席であった事は不幸中の幸いか。

高速バスでは終点の岡山まで行かず、途中の津山で降りる事にしていた。時間的に朝の6時台に着くこと、雪深い中国山地の城下町で風情ある朝を迎える事。そしてなによりも津山駅が中国山地における鉄道の要衝であり、因美線・津山線・姫新線が接続する駅だったからである。

 
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津山にはほぼ定刻通り朝の6時すぎに到着した。津山駅は町の中心より外れた吉井川の南側にある。そして高速バスターミナルは駅の前にあった。利便性は良いが少し複雑な心境である。すでに、少なくとも首都圏からのアクセスは完全に高速バスに取って代わられたのである。昨晩は興奮とシートの形状で、ほとんど熟睡はできず、頭はぼーっとし、体が解離したような状態だが、駅に着いたとたん旅の始まりを実感し、気が引き締まった。
あたりはまだ暗い。日がでるまではあと1時間以上あるか。

江戸時代、徳川家親藩筆頭の越前松平家10万石の城下町として栄えた津山には、何度か訪れているが、駅のあたりは初めてのようだ。しかし、後になって地図を調べていると、その都度駅前を通っているのだ。つまりは気がつかなかった。津山は美作地域の主要都市ではもっとも大きな町である。当然JRの津山駅も駅ビルを想像していた。ところが、実際の津山駅はこじんまりとした平屋であり、瓦の屋根に腰回りには海鼠壁のイミテーションが施されている。カワイイといえばそう思うところもあるが、美作地域の中心都市で、ターミナル駅のイメージとはほど遠かった。一応、みどりの窓口もある有人駅で、2面4線のホームや操車線など広い構内をもつものの、どうも過去の遺産であり、あまり有効に機能はしていない様である。それは、駅周辺の閑散具合からも想像ができるし、今まで気がつかなかったのだから。

津山線は岡山と津山を結ぶ50.7kmの地方交通線で駅数は17つ。もともとは明治31年に開通した私鉄の中国鉄道が、戦時買収で国有化されて生まれた路線だ。しかし戦後は沿線の過疎化が進んで赤字路線となり、廃線も検討されたものの、沿線自治体の費用負担や沿線住民の募金活動によって線路の高速化整備や新型車両キハ120系の投入などが行われ、かろじて今にいたるという。ちなみに津山駅の利用者は1日3千人ほどという厳しい現状らしい。ちなにみ比べる次元では無いが、昨晩高速バスで出発した新宿駅の乗降客数は実に350万人である。

津山6:46発・岡山行き(3931D)は、ホームで待つことしばらくしてキハ48系1000番台・2両編成が2つ並結した4両編成で入線してきた。さすがに山地の主要都市と県都を結ぶ路線で、ローカル線といえどもこれくらいでなくては、と思ったが。この列車は快速「ことぶき」であり、多くは2両か単両での運行のようだ。そういえばキハ120系と上で書いたか。時刻表では快速「ことぶき」だが列車にそれらしい表示はなかった。



気温は−3度。今年は積雪が早く、12月にして東北や信越・北陸は大雪にみまわれたが、ここ津山は薄化粧程度の降雪であり、雪景色の車窓はあきらめる状況だった。

列車が津山駅を出発したタイミングで空はうっすらと明るくなり始め「マジックアワー」の時間帯が始まる。津山線は「津山往来」こと国道53号線と併走しながら南下する。併走する川は吉井川支流の皿川。つぎの津山口駅はこの地に鉄道が敷かれた時の最初の津山駅らしいが、小さな無人駅のようで、しかも快速列車は止まらない。次の停車駅は亀甲(かめのこう)駅、それ以降は弓削駅、福渡駅、建部駅、金川駅、野々口駅、法界院と停車して岡山駅に7:55の到着となる予定だ。

弓削駅手前の誕生時駅は通過するが、誕生寺は浄土宗開祖の法然上人が誕生した地で、町は誕生時の門前町として発達。弓削は津山往来の宿場町であると共に、下総国古河藩領の飛地を管理する代官所が置かれ、政治・経済の中心地として発展した町。旧道沿いにわずかながら古い町並みが残されている。またこのあたりが分水嶺で、皿川に代わって今度は旭川支流の誕生時川に沿って津山線と国道は共に南下していく。
福渡の手前で、誕生寺川は旭川に合流。福渡もまた宿場町と旭川水運の中継地としてとして栄えた河港の町で、備前国と美作国の国境の軍事的要衝でもあった経歴を持つものの、残念ながら往時を偲ばせる町並みは残されていない。国境を越えて備前に入ると、建部もまた宿場町であるとともに岡山藩家老池田氏の陣屋町として発展した町。駅から南へ1kmほどの旧陣屋町地区には重厚な古い商家の町並みが残されている。

やや長いトンネルを抜けると金川駅。御津町の中心地で古くから交通の要衝。野々口駅でちょうど7:30を過ぎた。空はだいぶ明るい。ここで下りの列車と交換する。やはりというか、対向列車は1両ワンマン車だった。山陽自動車道を潜り、法界院駅のあたりはもう岡山市のベッドタウンである。
列車は定刻通り岡山駅の9番線ホームに到着した。


 
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