一路一会鉄道の旅・鉄路一会>四国フリーキップで廻る・四国ぐるり鉄道の旅(2)
   四国フリーキップで廻る   
  四国ぐるり鉄道の旅2  
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窪川駅での乗換時間は7分ほどしか無い。特急を待つホームにはすでに長蛇の列ができていた。そして中村からやってきた特急「南風16号」(46D)もまさかの満員だった。席に座れるはずなく、機転を利かせて前方が展望できる運転席後ろの通路に駆け込んだ。運転室には保線要員が同乗していた。

特急「南風16号」の最前列は、これが想像以上によかった。振り子式特急列車がローカル線レベルの山有り、谷有り、海有りの路線をいかにして駆け抜けるのか。いや〜感動しましたね。
しかし、本日の宿泊地である琴平駅までこのまま立ち続けるのも辛い。おまけに停車する駅駅で列車の通路まで、人で溢れ始めて居心地も悪い。思えば今日は帰省ラッシュの初日なのである。

13:02 高知駅に到着した特急「南風16号」は、今朝とは逆にここで3両を連結する。貫通路を明け連軽するまでの一連の作業を車内から見学する。保線要員を含めた分割併合作業のチームプレーは鮮やかなもので、関心した。が、感心している暇もなく、いそいで列車を降りる。

今日のスケジュールは、ひたすら今日来た道を引き返す形で宿泊地の琴平にもどること。まだまだ時間に余裕があるので、いくつかの場所に途中下車して寄っていきたい。

スイッチバック駅の新開駅や橋の上の駅の土佐北川駅を巡ろうかとも考えたが、この区間の普通列車はまるで本数が無く。各駅で途中下車するためには1日がかりの覚悟が必要なのだ。時刻表と格闘しているうちに時間が来たため、ビールとつまみを買い込んでホームへもどる。まだ15分以上あったが、帰省ラッシュを考えて早めにホームへと戻ったつもりだったが・・・しかし、ホームにはかなりの列ができていた。

留置線からやってきた14:12発、特急「南風18号」(48D)は4両編成で、なんとか窓際席に座ることはできたものの、通路も人であふれるほどの満員となり、大きな荷物を足もとと膝に抱え自由度が無い状態となった。
新開駅と土佐北川を車窓からだけでも見ようかと思ったが、今朝が4時起きだったことも加えビールを飲んでしまった為に、土佐山田を過ぎたあたりでまた眠ってしまった。

このまま、琴平まで直帰するには時間があり過ぎるために、途中の阿波池田で降りて、ひさびさに阿波池田の町並みを散策、その後は琴平までは各駅停車の普通列車にする事にした。阿波池田は何度も訪れた町だが、鉄道でのアプローチは初めてであった。

15:21阿波池田駅に到着。駅前には大きなアーケード商店街が町並み地区までまっすぐに伸びていた。商店街は閑散としていたが、本日が正月2日目ということもあるだろうか、それほど深刻なシャッター商店街では無いようだった。
阿波池田の地名はどういうわけかみな「カタカナ」表記だ。古い町並みが残るマチ地区は「町」だろう。「シンマチ」や「ヤマダ」「ハヤシ」など旧漢字表記が推測できそうなものもあるが、駅前地区の「サラダ」はどう書くのだろうか?地形からして「皿田」か?(そうらしい)カナ表記になった時期や経緯は不明。
「四国の十字路」と呼ばれ街道が交差し、吉野川水運による陸水交通の要衝として発展し、煙草生産で栄えた阿波池田だったが、鉄道の開通で水運は衰退し、煙草の国有化によって致命的な打撃をうけた。それでも阿波池田には日本たばこの阿波池田工場があるが、世界的な禁煙傾向の中で日本国内のたばこ消費量も落ち込んでいると聞く昨今、日本たばこの企業城下町と化しているこのちいさな町の行く末が気に掛かるところ。

古い町並み地区に足を踏み入れると、いくつかの変化があった。まず取り壊されて空き地になっている場所が増えたこと。もう一つは建物が改修され、通りは石畳となり案内標識も立って町並みが整備されている事だ。
とりあえずは自治体の予算が続くかぎりは阿波池田の町並みは残されるだろう。もっとも家を所有する住民一人一人の意識が一番大切なのだが。


 
阿波池田駅にもどったが列車が入線してくるまではまだ少し時間がある。駅の時刻表をながめていたサイクリストが何かを決意して立ち去っていった。

列車を待つ間にあらためて阿波池田駅構内を眺めていると、やはり大きな駅だった。2面4線のホームと駅舎は跨線橋で結ばれている。構内には広い留置線があった。山に囲まれたわずかな土地を駅と線路が独占しているような印象を受ける。

1番線ホーム。16:35発多度津行き普通列車(252D)がやってきた。キハ32-10番台のワンマン列車が3両連結した編成だ。扉がバス用の折り戸となっている名実ともにレールバスだ。車体も鋼製で16m級とかなり小さな気動車である。そして車内はオールロングシート。そんなローカル色ただよう愛らしい車両もちゃんと3両で協調運転できる機能がそなわっている事に、いまさらながらに驚いた。列車を端から端まで行き来すると、運転席が4つもあるのである。当然操作はできないが、機器の表示灯は運転席に連動して点灯していた。

さあ、なんとか1日の締めにローカル列車の旅らしさを取り戻した。阿波池田を出発すると徳島線と併走して佃駅に停車。右手には徳島自動車道が併走している事にいまさらながらに気が付いた。もっとも往路は反対側の席に座っていたのだから仕方がないが。佃駅を出ると吉野川を渡り、大きく「つ」の字を画くように勾配を登っていく。
山の中腹にある箸蔵駅に到着すると、先ほど阿波池田から走り去っていったサイクリストが乗り込んで来た。もちろん自転車は解体して輪行バッグに収納されている。車内には他にも小口径の折りたたみ自転車を携行した旅行者の姿が散見された。私自身、暖かい季節には輪行の旅を行うこともあったが、冬の季節はどうも体温管理が面倒で敬遠がちだった。なによりも手荷物が増えるからだ。

箸蔵駅を出発して、短いトンネルをいくつも抜けると、本日最後の本命しスイッチバックの坪尻駅だ、がなんとこの列車は通過してしまう。駅には下り列車が止まっていた。坪尻駅を出ると土讃線で2番目に長い猪ノ鼻トンネル(2,845)を抜けて香川県に入る。あとは平野部にむけて、点在する谷口集落を繋ぐように下っていく。

讃岐財田駅は小さな集落の駅だがホームは2面3線あり駅舎もある。黒川駅は見はらしの良いホームだけの田んぼの中の停留場。相対ホームの塩入駅で特急列車との待ち合わせの為5分ほど停車。そして琴平駅に到着した。

讃岐平野の夜景を眺めての初詣で四国2日目の旅は終わる。駅から徒歩5分ほどの、旧金毘羅参道沿いに建つビジネスホテルにチェックインを済ませ、「こんぴらさん」山頂を目指した。
 
 
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