徳島駅からは南北に2つの盲腸線に乗らなければならない。片方は短いが、もう片方は1日がかりの路線である。
とりあえず最初は短い方の鳴門線に乗るために、高徳線で分岐駅の池谷(いけのたに)を目指す。
徳島線が到着した同じホームの先に切欠き式の1番線ホームがある。徳島線が到着した駅改札正面のホームは2番線なのだ。1番線で待っていたのは2両編成の1200系(新潟鐵工)ワンマン列車だった。しかし分割作業の最中で実際に乗り込む時には1両ワンマンでの運行だった。車内はセミクロスシート。
車体には1245と書かれている。1200系は1000系と同じだが、JR四国の新型1500系との協調運転をする為に改良された車両らしい。カラーリングもJR四国のコーポレートカラーである水色と決別して、新しい時代のグリーンを基調とした1500系に合わせたものになっていた。
向かいのホームでは、阿南方面行きの牟岐線キハ47の3両編成がうち1両の切り離し作業をしていた。JR四国では、毎日どの路線においても普通・特急問わず頻繁に分割併合が行われている。
徳島駅に着いてから牟岐線の出発まで20分近くあったので少しブラブラした。徳島駅は松山駅や高知駅とくらべるとかなり大きな構内を持つ駅だ。駅ビルも建て替えられ駅前も整備されていた。さすが四国の西の玄関口の駅である。もっとも現在は高松駅にその座を譲ってしまったが、京阪神に一番近い駅である事には変わりはない。
次の乗換駅である池谷駅(いけのたに)から始まる短い盲腸線である鳴門線は、池谷ー鳴門8.5kmを7駅で結んでいる。前身は阿波電気軌道が徳島と鳴門を結ぶ路線として大正5年に開業させた古川
- 中原 - 吉成 - 池谷 - 撫養間である。阿波電気軌道は実のところ全線非電化で、その後も電化する夢は果たせず、社名を阿波鉄道と改名した。同社はその後、現在の鳴門まで延伸した後、昭和8年に国有化された。
鳴門線は盲赤字路線として指定されたものの現在も存続している。これは瀬戸大橋淡路島ルートを経て京阪神に直通する路線が計画された為であった。大鳴門橋は瀬戸大橋と同様、鉄道併用橋として建設されたが、明石海峡大橋の建設が難航して結果道路専用橋となり、その夢は途絶えてしまった。
最近になり、鉄道併用橋として建設された大鳴門橋でとりあえず淡路島まで延伸し、今度は紀淡海峡を海底トンネルで抜けて和歌山経由で京阪神につながる計画が浮上したが、その後の行方は不明である。
高徳線8:26発(4324D)は定刻に徳島駅を出ると今来た徳島線と併走して高架に入り、佐古駅に停車したのち北に分かれて吉野川の鉄橋を渡る。四国三郎の名を持つ吉野川は本当に大きな川だ。吉成駅、祥瑞駅、そして旧吉野川を渡って池谷駅だ。その池谷駅には定刻の8:40を2分ほど遅れて到着。鳴門線(952D)は8:42発で乗換時間は2分しかないが既に過ぎている。
池谷駅はV字型の駅でV字の真ん中に駅舎がある変わった駅だ。しかし駅を見ている時間は無い。鳴門線は乗り継ぎの為に発車時刻を過ぎても待っていてくれた。大急ぎで跨線橋を渡り4番線ホームで待つ鳴門行きのキハ47ー500番台を目指した。
車内はセミクロスシート。そこそこの乗車率で車端部のロングシートに座った。列車は池谷を出ると、大きく東に進路を取り、クリークが広がる穀倉地帯を走っていく。阿波大谷駅は大谷焼の町、立道駅、協会前は天理教撫養大協会前の駅。金比羅前駅は金刀比羅神社前の駅。次ぎの撫養駅の前には「えびすさん」ともよばれる事代主(ことしろぬし)神社がある。鳴門線が建設された初期にはこの撫養駅が終点だったのだが、現在の鳴門駅まで延伸すると、その駅が(新)撫養駅となり、(旧)撫養駅は「蛭子前駅」と改名された。しかし(新)撫養駅が鳴門駅と改名されるのに合わせて「蛭子前駅」は再びもとの撫養駅に戻されたというややこしい歴史がある。
今回は終点の鳴門まで乗らずに、撫養の町並み散策の為、撫養駅で降車した。小さなコンクリート製の「箱」だけある無人駅である。駅の前まで住宅が迫っている。住宅地の中に駅がある印象だ。駅前から伸びる狭い道を抜けると事代主(ことしろぬし)神社に突き当たる。東西に走るこの道が、旧撫養街道だ。
鳴門は四国で一番京阪神に近い町で、古くから四国への玄関口として発展していた。古代官道の南海道もまたこの撫養から四国へと入り、江戸期には蜂須賀家徳島藩の要港として栄え、やがて阿波国第一の港となる。
物資は主に吉野川の舟運で行き来したが、近郊農村とは陸路でも運ばれた。撫養街道沿いには商家を中心とした町場が形成されていったのだ。
街道沿いには地酒の三拍子酒造がある。町並みは断続的に隣りの金比羅前駅まで続いていた。
形に食い込む思い荷物を背負っての散策、これを知っていれば一つ前の金比羅前駅で降りて撫養駅まで歩いたのだが・・・。最も、その場合撫養駅の場所を探して右往左往するかも知れない恐れもあった。
下り(954D)は9:48に乗り込み、一駅先の終点鳴門には9:50に到着した。
ホームには「うず潮の鳴門へようこそ」の立て看板というか指標が。これを背に記念写真を撮る若者もいた。
列車の運転手がカメラを頼まれシャッターを切っている。鳴門駅は終着駅だがホームは頭端式ではない。今もなお消える事の無い、本州への延伸を夢見ているようである。
今乗ってきた列車(954D)は折り返し(959D)となる。今度は池谷駅で乗り換えず、徳島駅直通だ。
始発なので、今度はボックス席の車窓を陣取ることができた。そして列車は来た道を引き返していく。
池谷駅で列車交換のために3分停車。が、ダイヤが少し乱れているらしい。風も無い、至って晴天なのに一体何があったのか?次の吉成では特急と交換の為に8分もの停車。特急列車にもかなり遅れが出ているらしい。
今日は朝からダイヤが乱れている。本州とは違い四国では接続の為に多少は待っていてくれるとはいえ、あまりにタイトなスケジュールを組んだ自分を諫めたりしても、これしか方法が無いという言い訳を自問自答している間に列車は定刻よりも2分の遅れて徳島駅に到着した。
そして、次に乗り継ぐ牟岐線は接続の為に定刻を過ぎても待っていてくれていた。跨線橋を駆け上って2番線ホームへと急いだ。
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