一路一会鉄道の旅・鉄路一会>四国フリーキップで廻る・四国ぐるり鉄道の旅(3)
   四国フリーキップで廻る   
  四国ぐるり鉄道の旅3  
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さあ、いよいよ四国3日目にして全9日間に及んだ鉄道旅の最終日だ。思い起こせば、非常にゆったりとした時間が流れていた一方で駆け足のあっとう間の8日間だった。疲れと興奮が入り交じった日々が続いていて、どうも最終日だという実感が湧かない。

今日はまず琴平から土讃線の各駅停車で阿波池田を目指し、阿波池田からは徳島線の特急で本日のメイン中継拠点である徳島駅を目指す。
琴平駅5:50発(4225D)はキハ32-15ひさびさの1両ワンマン・レールバス。折り戸をパタンと閉めて発車。
走り出すとカッシャっとドアロックが掛かるのが面白い 。

周囲は真っ暗で何も見えないから仮眠に費やす。四国では自ら課した制約によって、同じ路線を何度も行き来する事になった。今日の土讃線琴平ー阿波池田間も昨日から3回目の乗車である。こうなるとさすがになんだか四国が地元になったかの錯覚を覚える・・・ほどまでは行かないものの、非常に身近にはなった印象だ。

この列車も坪尻駅は通過する。どうもかの駅には縁がない、いったい坪尻駅は何の為の、誰のための駅なのだろうか?秘境駅には多くの疑問をいだく駅が数多くあるが、この駅もまた不明である。まさか鉄道乗りの為だけに維持管理しているとは思えない。

県をまたぐ路線だが駅数は多くない。なにより「2往復」目なので旅情を感じる前に到着。次は6:47発特急
「剣山2号」(4002D)キハ185ー20。特急なのに列車番号が4桁と言うのは久々な印象。車内は案の定ガラガラで座り放題。当然、運転室から前方が展望できる最前列から2列目の席に座った。最前列に座らないのは、壁付けのテーブル位置と、足を投げ出すスペースが無いこと。2列目でもシートの隙間から前方の視界は見える上に、腰を上げれば全く問題が無い。横の窓も前方へ向けて開けているので展望が良い。最前列は意外に圧迫感がある。とうぜん撮影で必要ならば乗降通路に出れば良いのである。終点の徳島駅には8:03に到着する予定。

このキハ185系は四国上陸初日に普通列車に改造された列車に乗ったが、今日のはちゃんとした?特急車両だ。シートはリクライニングするし、テーブルもある。思えばこの型の列車には九州3日目最終日に「九州横断特急」としても乗ったが、あちらは別物のようにフルリニューアルされていた。乗っていて気持ちが良い。それに比べると、JR四国のこのキハ185は年季が入って、どこか国鉄臭を漂わせ、湿っぽい雰囲気だ。

列車が阿波池田駅を出る頃に合わせるかのように夜が明け始めてきた。向かう先の空はピンク色で美しく、吉野川も怪しいグラデーションで魅了する。とても「四国三郎」の異名を持つ暴れ川には見えない。

徳島線の起点である佃駅の次ぎの辻駅は通過するが、この町は井内谷川河口の集落で木材の積み出しで発展した町で、伊予街道の旧道沿いには古い商家の家並みも残る。その一画に建つ芳水酒造は小さい蔵ながらも、ていねいな酒造りで首都圏でも知られる蔵だ。次の阿波加茂駅は三加茂町の玄関口。この町の外れにも可楽智酒造という小さな酒蔵がある。この駅を含めてJR徳島線の駅は大半が行き違いできる2面ホームをもっている。
貞光駅は剣山の登山口で卯建の上がった貞光商家群が残されている貞光町の玄関口。またレトロな貞光劇場が車窓に見ることができた。穴吹駅は徳島線の中間地点あたりか、2分の停車。少し離れるが吉野川対岸の脇町には四国最大の卯建と白壁の町並みが残されている。

吉野川は四国最大の河川で、このJR徳島線は「よしの川ブルーライン」の愛称がつけられているように、吉野川に沿って徳島県の東西を結んでいが、実際に列車の車窓から吉野川が見える区間はわずかしか無い。
川田駅では列車交換の為の停車でドアは開かない。徳島線は朝から運行本数が多い。時刻は7:30だから通勤通学の時間帯か。

次の阿波山川駅でまた列車交換。次ぎの阿波川島でまたまた列車交換。阿波川島は2面3線の大きな駅。ここですれ違った列車は旧国鉄のキハ47系で徳島線でも健在だった。

次の停車駅の鴨島駅も2面4線の駅だった。かつて製糸業で栄えた町と駅である。石井駅、蔵本駅は徳島市の近郊で列車交換。蔵本駅を出ると高架線になり左手から高徳線が合流してくる。徳島線唯一の高架駅である佐古駅は徳島線の終点駅だが、列車はみな徳島駅まで乗り入れている。特急は通過。複線のようだが高徳線・鳴門線との単線並列である。しかし高架も佐古駅を通過すると再び地上に降りて、徳島駅に到着した。徳島駅も高架化計画が30年以上前からあったが、凍結してしまったようだ。


徳島線の歴史については予讃線や土讃線の中で少し触れたが、正式には徳島ー阿波池田間ではなく、路線の籍としては佐古ー佃間の67.5kmであるが、前後の駅に乗り入れているので24の駅で結ばれている。
明治33年に徳島 - 舟戸間が徳島鉄道によって開業。同社はその先阿波池田を経て高知までの延伸を計画するが、その前に国有化されて徳島線と命名される。その後徳島本線と改称されたころに阿波池田駅まで開通した。
地方路線だが、徳島の中央を貫く路線ということもあって利用者は多い。もっとも大半は徳島市近郊地域の短距離通勤・通学者のようだが。並行して走る国道192号の渋滞が年々悪化しているため、列車の利用が増え始めているというのは鉄道には朗報だ。ならば、徳島線には旧式車両の引き受け線ではなく、快適な新型車両の投入によってさらなる集客に努めるべきなのではないかと思う。

キハ185はとりあえずは特急列車で乗りごこちは良いが、ディーゼルの排気ガスの匂いがどこからか車内に進入していて、小さな漁船に乗っているようだ。
高徳線は山岳部は走らず、ひたすらに吉野川に沿った平野部を走るが、線路を見るとあまり高速化への改良は行われていないようだ。


 
 
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